布団あります まくらことば活動日記

歌ものロック/ポップスバンド、まくらことばのブログです。

人生にはイージーリスニングが必要な時がある

先日、最近にないレベルで疲れた日があって、その日はもう19時くらいから布団に入ってしまいたい気分でした。

とはいえあまりに早く寝てしまうと夜中に目が覚め、かえって疲れのスパイラルから抜け出せなくなってしまうので、じゃあ音楽でも聴いてなんとか22時くらいまで持ちこたえるか、というシチュエーションがありました。

そういうほんっとに疲れた時にどんな音楽を聴けばいいのか?

これね、どんな癒し系とかメロウ系でも、ロックとかポップスはダメでした。

もう歌があるっていう時点で受け付けないのよ、そういう状態の自分には強いの、思想が。

じゃあジャズとかクラシックはどうかというと、これもダメね。

そういう音楽って歌は無くても、芸術的高揚を聴く者にもたらすことをねらいとしているでしょう、だからこれも強い。

ということで、結局その日私が聴いていたのは、ポール・モーリアリチャード・クレイダーマンでした。

 

このイージーリスニング界の巨人と天才、名前はご存じなくても曲は必ず誰でも聴いたことがあるはずです。

最近はなくなったけど、テレビの時間つなぎ的な天気予報のBGMとか、デパートの7階のレストラン――壁紙が森林みたいになっててテーブルの上に100円入れる占いマシンだとかミントキャンディーの小さい販売機が置いてあるようなところでかかってるとか、地方の静止画像CMのバックに流れてるだとか。

メロディだけだったら地方なら時報として役所が流してたり、商店街のスピーカーからひっそり聞こえてきたりもする。

これだけ日本の日常に溶け込んでいる(「いた」かな)洋楽って他になくて、日本人が耳にした機会の多さで言えば、ビートルズなんて足元にも及ばないでしょう。

この手のCDって、新聞広告の通販で「素晴らしきムード音楽の世界」とか銘打ってセットもので売られてたり、高速のSAとかホームセンターのCDコーナーに1000円くらいで売ってたりして、流通も一般のアーティストとは大きく異なっています。

そして管見の限りでは、この手の音楽に批評は皆無で、サブカル的ネタとして扱われることはまれにあっても、真正面からとらえた言説は見たことがありません。

まぁこの音楽は高揚とか覚醒をもたらすことを一切ねらっていないから批評の必要もないからね。

イージーリスニングって誰が名付けたのか知らないけど、天才だと思いますね。

これほど的確に対象物を捉えたネーミングってそうそうないと思うな。

 

例えばこの曲なんて、何人たりとも聞いたことないなんて絶対に言わせねえぞ!

これは私も今知ったのですが、なんでもリチャード・クレイダーマンのデビュー曲だそうです。

これ、広島テレビとかRCCの天気予報とか静止画像CMでやたらと使われてたなぁ。

なんか朝、午前中ってイメージがすごくしますね、まだまだ手つかずの一日が残っていて、若い日差しが差し込む窓際で聴くといいですねー。

 

ポール・モーリア先生ならこの曲が好きかな。

ポール・モーリアはこの少し哀愁を帯びた旋律がいいんですよね、非常に日本人向きだと思います。

途中からハイパーになる展開もいいし、妙になまめかしい女性ヴォーカルのスキャットもたまらん。

裏にはラテンっぽいパーカッションが効いてて、ドラマチックな展開と併せて日本人の好きな要素が満載されてますね。

あとこの曲、知ってる人なら必ず好きな「金曜ロードショー」のオープニングもちょっと彷彿させるよね。

 

あと好きなのはこれ。

もう天気予報感が半端ないでしょ。

今ってテレビ番組の開始時間が食ってるじゃないですか、チャンネル争奪戦のために。

そんでその分番組内のCM時間が厚くなっているという。

でも昔は9時なら9時ジャストから始まってたから、その前段階に必ず時間つなぎがあって、それがこの手のイージーリスニング+天気予報だったよね。

ギターとハープシコードの音色が非常に心地よいです。

 

クレイダーマン、モーリアからちょっと離れまして、イージーリスニングと言えばこの番組は絶対に外せない。

ジェットストリーム」……深夜0時に流れ始める音楽の定期便、夜間飛行のパイロット・城達也の素晴らしき世界!

いやー、これちょっとヤバいな、なんか涙出てきそうだわ。

このストリングスが束になって旋律を奏でるのって私ダメなんですよ、もうそれだけで心の柔らかいところに触れられてる気がする。

この曲「ミスターロンリー」は歌入りのオールディーズですが、日本人にはこのバージョンのほうが耳馴染みあるでしょうね。

城達也さんのナレーションと時折挟まれる管制との通信や機内アナウンス……飛行機乗りたくなったなー。

 

ということで、イージーリスニングは音楽そのものというより、それが流れていたバックグラウンドと一体化して記憶収納されているという、まさにBGMなわけですね。

これ、すごいことだと思いません?

聴く者を高揚させる音楽ってものがある一方、高揚させない音楽ってのもある。

しかもそれは「どうでもいい」「何の印象にも残らない」のではなく、くっきりと刻印を残しているわけですからね。

ちょっと言い方悪いですが、毒にも薬にもならないのに印象的という二律背反を見事に成立させているのは、相当レベルの高い仕事だと思います。

ようつべのコメント欄とか見ても、みなさん「これはKBSの天気予報で使われていた」とか「学校で5時に流れてきた」とか、状況込みで思い出を持っていることがうかがえ、それはすぐれたイージーリスニングが、シチュエーションを埋め込む余地をきちんと残してある表現だということでしょう。

繰り返しになりますが、「イージーリスニング」って誰が考えたネーミングなんだろうね、ホント完璧だわ。