オザケンのこと(とりあえず)
こんばんは、湘南乃……じゃなかった、まくらことばのサトーです。
えー、このブログはあくまでバンドのブログでありまして、私個人のものではないということは重々承知しておるのですが、なんせバンドっちゅうもんは生身の人間がやっているものでありまして、そいつのバイオリズムが如実に反映されるものなのであります。
ということで個人的事情をまずは開陳せざるを得ないのですが、実は私、ここ数日、近年にない自己嫌悪と言いますか凹みを感じておりまして、どうにも憂鬱な毎日を過ごしておりまして。
というのも実はクルマを替えまして*1、そいつが教習所以来のマニュアル・トランスミッション(MT)物件なんですね。
そんで先週土曜の納車日には、家にたどり着くまでに、それこそ銀座や青山のど真ん中で20回くらいエンストをかましてしまい、その後ストレスで食道に異物感を感じるまでになりました。
こりゃえらいもん買ってしもうた、とにかく練習しなきゃということで毎晩運転しているのですが、平地での発進は何とかモノにできたものの、問題は坂道発進。
昨晩もニコタマから246に合流する坂道の信号でエンスト3連続をやってしまい、完全にパニックに陥ってしまったのでした。
MTを操る方に相談しても、みなさん一様に「慣れだよ」とおっしゃって確かにその通りだと思うのですが、でもさぁ、練習って言ってもおれんちの駐車場出たらすぐ世田谷通りだし、後続車が来ない坂道なんて東京ではまずないわけで、練習といいながら実際はかなりプレッシャーのキツい本番の連続なんですね、ホントどこで練習せえっちゅうのよ!?
なんだけどこいつを克服しないことには何も始まらないので*2、今夜も重い腰を上げて地獄のドライブに行こうかと思います。
環8周辺の坂道で立ち往生してる茶色いクルマを見かけたら間違いなくそれはサトーです、どうかやさしく見守ってやってください……。
あぁ、前置きが長くなりすぎた。
えー、今までも折に触れて言ってきたと思うのですが、私にとって小沢健二というアーティストは、最も影響を受けたというかなんというか、とにかく一番大きな存在の音楽家であり、今もそうであるように思います。
オザケンのことについては、クリアカットに「オザケンはこうでした」と言えればいいんだろうけど、あまりに巨大な存在すぎて断片的なことしか話せないし、思い入れもすごく強いので客観的に評論できない。
なんだけど、ソロデビューしてからもう20年以上の月日が流れ、今も独自の活動をしているものの音楽シーンの最前線にいるわけでもなく、なかなか若い人には知られない存在になってきてると思うのね。
だからちょっとずつ、ごく私的に書いていくことしかできないんだけど、僕たちオザケンを砂かぶりで享受した世代が彼のことを語って、次の世代に伝えていく義務みたいなものがあるような気がするんですね。
ということで、とりあえずの私家版だけど、オザケンの話。
1995年11月24日、当時音楽ファンのみならず、世間一般に“芸能人”として広く認知されていた小沢は、久米宏がキャスターを務める「ニュースステーション」にゲスト出演しました。
当時私もリアルタイムで放送を観ていましたが、「さよならなんて云えないよ」のスタジオライブで突如、機材がモクモクと煙を上げるというトラブルが発生したんですよね。
その映像はようつべにもあって伝説化しているのですが、強烈な印象もさることながら、私はこの放送を観て、「ああ、僕たちの代表がテレビに出ている!」という言い知れない高揚感に満たされていたことを思い出します。
そう、当時人気の絶頂にあった小沢が、私にとっては芸能人ではなく、あくまで“こっち側”の人に映ったのです。
音楽に夢中なスマートな青年が、あくまでストレンジャーとして画面に収まっている。
それはおそらく私だけの感情ではなくて、番組そのものも特別ゲスト的な扱いというか、ルーティン感皆無の妙なよそ行き感充満で進行されていたように思います。
私が小沢の作品を本気で鑑賞し始めるのは実は上京した96年以降のことで、この頃はリスナーではなかったしましてやファンでもなかったのですが、それでも、「テレビの人じゃない人がテレビに出てる!」をここまで感じさせてくれたのは、後にも先にもこの時の小沢健二しかいないように思います。
この放送が、私の小沢健二に対する印象を決定づけたのでした。
その後、彼の作品をそれこそむさぼるように聴きこむ日々に突入するのですが、私はファーストアルバム「犬は吠えるがキャラバンは進む」がとくに気に入り、いやそれどころじゃなくその頃始めた作曲において具体的にパクるくらいに虜になりました。
これこそが、自分が聴きたかった音楽だし、できればやってみたい音楽なんだと。
私が「犬キャラ」を買ったきっかけに、『Player』誌に載っていた佐藤タイジのインタビュー記事があります。
佐藤氏はルックスが体現している通りのアツいミュージシャンですが、彼が当時の音楽シーンに触れて「厭世的なことを言う奴はむかつく、小沢健二の『犬は吠えるがキャラバンは進む』とかね」みたいな発言をしてたんですね。
佐藤氏はおそらく、その時点で「犬キャラ」を聴いていたわけではなく、「犬」というのにある種の反権威的記号、すなわち自分のようなアウトサイダー指向のロックミュージシャンを重ね合わせ、それに対してインテリお坊ちゃんのオザケンが冷笑的に構えていると受け取ったのでは、つまりタイトルだけで過剰反応していたのではと推察するのですが、わかりやすい記号をまとってミュージシャンを気取る人が大っ嫌いだった私は、「これは面白い、だったら犬を聴いてみよう」と思ったのでした。
「犬キャラ」について、2つのことを言わせてください。
ひとつは、このアルバムが、後に続く70年代の日本語ロック/ポップス、具体的にははっぴいえんどやシュガーベイブの再発見の先鞭となったこと。
もしこのアルバムがなかったらサニーデイ・サービスはあの音楽性にならなかったと思うし、もっと言えば96~99年あたりの邦楽の盛り上がりと劇的な音楽の質の向上はなかったと思います。
もうひとつは、このアルバムが日本語歌詞のハードルを一気に高いものにしたこと。
松本隆直系の風景描写を基軸としながら、時に宗教的ともいえる覚悟が示される言葉の世界は、この国の多くのソングライターにとって目指すべき高みとなったし、踏まえるべき規準となった気がします。
「犬キャラ」を知ったのちも、私は小沢の音楽に常に夢中だったのですが、「犬キャラ」期に匹敵する盛り上がりを自分の中で感じたのは、「球体の奏でる音楽」以降に連続リリースされたシングル群に触れたときです。
「ライフ」で国民的歌手としての地位を築いた小沢は*3、「球体」でジャズに接近し多くのリスナーを戸惑わせたわけですが、私も「球体」についてははっきり言って今も評価に迷うというか、正直言って全然聴き返すことはない作品です。
なんですがその後、「夢が夢なら」から「春にして君を想う」まで続くシングル曲は、フリッパーズ時代を含め、小沢の集大成と呼ぶべき素晴らしい作品ばかりでした。
「Buddy」はほとんどヒップホップのトラックにお家芸のボーイズライフ系歌詞が冴えているし、「恋しくて」ではデモテープのような簡素な演奏にきわめて喚起力の高いストーリーを融合させているし、「指さえも」は箱庭感のある小品ながら完成された世界を構築しているし。
特に「ある光」は、小沢の最高傑作といっても異論の余地がないくらいで、エリック・カズの影響色濃い都会的な旋律と、小沢にしか書けない圧倒的な文学性を備えていると思います。
このあたりの作品は、いまだにアルバムに収められていないものもありますが、私は小沢健二の黄金期はこの連続シングル期であると断言します。
とりわけ私にとって思い入れが強いのが「ダイスを転がせ」という曲。
これは得意のボーイズライフものの一つだと思いますが、とにかく歌詞が冴えわたっている。
難解な言葉や言い回しは一切なく、どちらかといえば言葉遊びに近いノリ重視の歌詞でありながら、これまで小沢が追求してきた世界観が見事に凝縮されたのが「ダイスを転がせ」の言葉世界で、私はこれほど平易な言葉でコンパクトに明瞭なイメージを提示した表現に触れたことがありません。
とりわけ、「どうせ彼氏は鍛えたKiller/オレたち猫たち jump up jump up/腰に引っかけたスミス・アンド・ウェッソン」というヴァースの切れ味!
借りてきた言葉など一つもない圧倒的なオリジナリティ、フリッパーズ以来一貫してきたマッチョなものとの対決姿勢の明瞭さ、そして横溢するウィットと詩情。
このオザケンにしか書けない言葉を浴びた私は、「これぞおれたちのアンセムだ!」と本当に感動したし、自分は間違っていないんだという勇気をどれほどこの曲から受け取ったか、計り知れないものがあります。
小沢健二は私にとって今も、あの19年前のニュースステーションで観たときのような、「オレたち猫たち」の代表という存在です。
私は今もどこかしら、「鍛えたkiller」に一泡吹かせるために、バンドなんて手間のかかることをやっているのかもしれません。
だとしたらその魂は、間違いなくオザケンから受け取ったものです。
……以上、本日の日めくり「ダイスを転がす日」から感じたことをしたためてみました。
ハルカゼ舎さん、5周年、おめでとうございます!