We'll meet on edges,soon
おはようございます。
30年前は紅顔の美少年だったまくらことばのサトキヨです。
昨夜、無事スタジオとれました!
ということで、本日24時から明朝6時まで、ウンザリするくらいの時間を使って「枕じゃなくて招待状」のレコーディングやります。
といっても、せいぜいドラムとバッキングギターくらい録れたら御の字で、あとは各自でオーバーダビング(という段取りですので、ゆさくんよろしく)。
今回は録音ということでいつものスタジオではなく、機材の良さに定評のあるノアさんで。
いやー、ナイトパック取ってレコーディングやるなんて、何年振りだろうか。
そんな高揚した気分に由来するのか、昨日からディランの「My Back Pages」って曲が頭の中にぐるぐる鳴ってまして。
歌詞を読み返したりしてるのですが、相変わらずよく意味はわかんないんだけど、今の自分にしっくりくる言葉があちこちにちらばっている気がします。
そう、わたしの護衛は守りをかたくした
無視するにはあまりに高貴な抽象的脅威がわたしをだまして
わたしには守らなければならないものがあると考えさせたとき
善と悪、これらのことばをわたしはきわめて明確に定義する、うたがいもなく
ああ、あのときわたしは今よりもふけていて今はあのときよりもずっとわかい
この曲は、頭でっかちでイキッている過去の自分を自己批判的に振り返る歌として有名ですが、「ああ、あのときのわたしは今よりもふけていて今はあのときよりもずっとわかい」というキメフレーズの前段で語られる、「中2な自分が考えていたこと」の部分に、私は限りなく魅かれます。
この曲は1番から6番までありまして(引用は6番)、前段部分のどのヴァースでもかなり観念的で難解な表現が連なっているのですが、ディランはそういったものとの決別を歌いながら、それらを憎むのではなくどこか供養するような気持でいたのではないか。
確かに無邪気ゆえに横暴で、断定的で、利いた風なことばかり言う自分ではあったが、そこには何がしかの真実味というか、必死さみたいなものがあった――そのようなディランの眼差しを、私は感じずにはいられません。
観念とか思想の中毒状態になって、いかにも気取って言い放った「We'll meet on edges,soon」(せとぎわであろう、じきに)という言葉が1番に出て来ます。
この定訳で「せとぎわ」とされる「edges」という言葉に、私はぐっとくるんです。
皆さんも身に覚えがあると思うのですか、私もご多聞にもれず思春期、The Smithsを聴いて『完全自殺マニュアル』なんかを愛読し、親やクラスのみんなを「馬鹿ばっかりじゃ!」と軽蔑するような、“あの病”を患っていました。
その後いろんな痛い目にあったり、人に感謝することを覚えて病を脱するわけですが、いまではあの病が、思春期において「edges」を見に行くための通過儀礼だったんだと思います。
そして「みんな死んじまえ」「こんな腐った世の中からは早々におさらばだ」みたいな妄想の極みに至って、「あ、これ以上進むのはまじで危険だわ」というポイントが、「edges」ではないのかと。
人は一度、見慣れた景色を離れて世界の果てに旅立ち、もうこれ以上は進めないという地点で引き返す――かつて愛したものを憎み、10年ほどの旅を経て、ふたたび帰ってきてからそれらを愛するようになる。
このプロセスが、大人になることではないかと思う次第です。
まくらことばはたぶん、それぞれが「edges」から帰ってきたメンバーによって結成されたバンドです。
「edges」を見てきたという刻印を、大人として音楽にどう刻んでいくのか。
楽しみでありながら、身の引き締まるような思いで今夜を迎えます。