短歌教室
こんばんは、サトー@まくらことばです。
最近は秋の深まりとともに朝晩はかなり冷え込むようになりました。
が、朝晩というのはちょうど満員電車に乗らなければならぬ時間帯であり、推定室温33℃の電車内をどうやりすごせばいいのか、ちょっと服装に迷っている今日この頃です。
みんななんで涼しい顔してるのかなぁ……。
さて、Twitterの個人アカで短歌を始めた、みたいな話を以前もしたと思いますが、あれからもたまにサボりつつ1日1首は作るようにしておりまして、相変わらず短歌って面白いなと日々の小さな楽しみになっています。
そこで今日は、これまで1か月と少しやってみて感じた、私なりの短歌づくりのポイントなどをまとめておこうかと思います。
①絵画・写真か物語か
まず短歌を作ろうと思った際に、一番さじ加減に迷うのがここかと思います。
つまり見たこと・感じたことを、そのまま1枚の絵や写真のように切り取ってみるのか、それなりのストーリーを考えて小さな物語をつくるのか。
まぁこれは2択ではなくてグラデーションの問題なのですが、31文字というのは、「一瞬の切り取り」でも「ストーリー」でも過不足なく表現できてしまう非常に優れたフォーマットだと思います。
例えば、在原業平の有名なこの歌。
名にしおはばいざ言問はむみやこ鳥我が思ふ人はありやなしやと
これなどは非常にストーリーを感じさせる歌ですが、絵的にいえばみやこ鳥なる鳥(ゆりかもめらしいです)を見た、という一瞬の切り取りなんですよね。
あるいは斎藤茂吉のこの歌。
のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にいて足乳根の母は死にたまふなり
これは写真的短歌の傑作だと思うのですが、人生における最も印象深いシーンのひとつが見事に切り取られていますね。
ということで、どちらの指向性でも、またはハイブリッドでもいけちゃうのが短歌の楽しいところなのですが、まずは「ストーリー」からやってみるのが作りやすさという点ではおすすめかと思います。
②字余り・字足らずは恐れるに足らず
ご存じのように短歌は57577からなる31文字の表現なわけですが、各パートの規定文字数を満たせない・超えてしまうことがしばしばあります。
これについてはなるべくきれいに収めたいところですが、私は結構気にせずにやっています。
というか多少文字数が合わなくても大事なのは脳内音読したときのリズムがどうかということで、リズムさえ悪くなければ31文字じゃなくてもいいじゃん、というスタンス。
なんですが57577というのは日本語話者にとってはほとんど本能的に気持ちいいリズムなので、やっぱり31文字を守るのがリズムという点でも理想的かと思います。
とにかく、無理に収める必要はないですよ、ってこと。
③古語は義務ではなく権利
短歌といえば日本人の大半が最初に出会うのが勅撰和歌集収録の古代作品が多いため、「短歌=古語を用いる表現」という認識の方もいるかもしれませんが、当然短歌にそんなルールはありません。
実際、現代短歌と呼ばれるものは口語や擬音、外来語などなんでもありで、古語の知識などなくても楽しめるのが短歌です。
でもね、逆に考えると我々が日常において古語を運用できるのは短歌を詠むときくらいのもので、だったら古語使ういい機会じゃん、とも思うわけです。
私が古語(的な言い回し)を使うのは、前述のリズムの観点からそっちのほうがいいと判断した場合で、たぶん文法的に正しくない運用もあると思うのですが、雰囲気を演出するための技法として、わりと何も考えずに使っています。
ということで、短歌は古語も使えるんだというふうに認識して、適当にやればいいと思っています。
④固有名詞が使いやすい
言葉を用いた表現において固有名詞というのはイメージの喚起力とかインパクトが非常に強力で、ぜひ使ってみたい言葉だと思います。
なのですが、強すぎるあまりそっちに印象が引っ張られてしまったり、時間耐久性の問題などがあって、なかなかおいそれと使えないのも固有名詞で。
たとえば歌の歌詞における固有名詞の使用というのは非常に悩ましい問題で、この先何百何千回も繰り返し歌うことになる歌詞に固有名詞を使うのは、なかなかスパンの長い配慮が必要とされる行為です。*1
そこで短歌ですが、小説とか歌詞に比べれば圧倒的に責任がないというか気軽な表現だと思うんです、やっぱり。
ある意味使い捨てなこのフォーマット、固有名詞を使うのには非常に相性が良いわけで、ここは遠慮せずにどんどん使ってみるのがいいと思います。
それに31文字のなかで明確なイメージを提示するのはなかなか難しいですから、固有名詞一発で済ませちゃうというのも機能的でいいですよね。
⑤数撃ちゃあたる、どんどん詠もう
短歌など所詮、落書き程度のものだと思うんです。
気に入ったものであれば後で振り返るかもしれないけど、基本的には思いついて何かに書きつけるなりネットにあげたらそれでおしまい。
私が短歌をTwitterでやるのも、ツイートに毛が生えたくらいの軽いものだと捉えているからです。
なんですが、平安時代のラブレターみたいにここ一番の大勝負にも使えるのが短歌で、手軽さと同時に可能性も秘めているのが魅力ですね。
ま、何事も傑作をモノにするためには数をこなさなきゃならんわけで、とにかく詠んでみるのが短歌上達の最短ルートなんだろうと思います。
少し方法論的なことを言うと、とにかく思いついたフレーズを書いて・打ってみて、そこから31文字になるように足したり引いたり、上の句と下の句を入れ替えたり、そんな作り方もアリかと。
短歌はコンパクトな表現のため脳内で完璧に作り上げてからアウトプットしたくなるのですが、欠片の段階から表に出してあげると、自分でも思いもよらない方向に転がっていくかもしれません。
最後に何より短歌が素晴らしいのは、歳を取っても楽しめる、一生続けられる遊びであることです。
日記感覚で毎日やってると記録にもなるし、世の中に対する見方が次第に研ぎ澄まされてくるかもしれません。
私の夢は、友達で集まって歌会的なことをしたり歌集を編んだりすることです。
なのでみなさん、ぜひお気軽に短歌、詠んでみてはいかがかしら。