布団あります まくらことば活動日記

歌ものロック/ポップスバンド、まくらことばのブログです。

忘れられないこと

こんばんは、と書き始めて書き終える頃にはおはようございますと言うべき時間になっているんでしょう、お酒を飲んだ日は特に夜中に目覚めることが多いまくらことばのサトーと申します。

 

えー、唐突ですが人間は記憶の集積でありまして、私ですと37年間のいろんな記憶が積み重なって今の言動の根拠となり、それに接した方々が「サトーはこんなやつだ」と思うわけで、どんなに未来志向のことを考えたり発言したりしても、その主体が過去から自由になれることはないと思われます。

とはいえコンピュータのように、すべてのメモリーを等しく貯槽しておくことは人間には不可能で、適宜、記憶コンテンツの入れ替えを無意識のうちに我々は行っている。

いつでも取り出して参照できる場所に置いておく記憶もあれば、奥深い階層に収納されるもの、記憶になる前に忘却されるものなどを選別する作業を絶えず行って、頭がパンクしないようにしているわけですな、ってこの前もこんな話しましたね。

つまり「人間は記憶の集積である」ということをより正確に言えば、「人間は忘れられない記憶の集積である」となり、記憶のうち何をとっておいて何を捨てるのか、この無意識の作業にその人の個性みたいなものが表れるのかな、なんてことを考えたりします。

 

もちろん、喜怒哀楽の種類にかかわらず、忘れられない記憶ってのは強烈なものが多いのですが、ふとした瞬間に蘇ってくるような記憶って、何気ない誰かの言葉だったりすることが結構ありませんか。

それは不幸にして自分を悲しませたり傷つけたりしたものもあると思いますが、褒めてくれたことややさしくしてもらったことも、忘れられない記憶として多く残っていると思います。

私自身はですね、特にそういう機会が多かったというわけでもないと思うのですが、後者の記憶というのがやっぱり忘れられなくて、それを自分の支えにして今立っているという部分がすごくあるような気がする。

いやもちろん、特に若いころは、ダメージを与えられたことに対し「一生忘れんからな」みたいなことを思っていたのですが、時間が経ってみると意外とそんな記憶は残っていないモンだなぁ、なんて思ったりするのです。

この「ポジティブ補正」は、私がお気楽な人間であることの証左だと思いますが、そのお気楽さにしてもやはり、自分の柔らかいところを守ろうとする防衛本能が私に身に着けさせたものなのかなと。

 

いやホントにね、やさしくされたことって忘れないんですよ、たぶん一生忘れないと思う。

それでね、僕はまくらことばってバンドはね、そういうことを歌っていきたいって思うんです。

誰かにやさしくされて励まされたり奮い立った自分たちが選んだ言葉や音を、歌にしていきたいと思う。

 

前回の記事で紹介した「参加賞」って曲、あれはMV含め本当に陰惨な記憶を題材にしたものだと思うんだけど、何度聴いても私は、聞き手に安易な依存を促すような、ただのヤンデレ物件には思えないんです。

どっかに救いがあるっていうか、「お前なんかいなくていい」みたいな言葉が覆いかぶさってはいるけど、誰かが言ってくれた「生きろ」って言葉、それを同時に歌っているように聴こえました。

なんかね、それがすごく感動的だったの。

 

人にやさしくできる人ってすごいなぁって、いつも思います。

そういう人が周囲に何人かいる自分は本当に幸せだと思うし、自分もそういう人間になりたいと思う。

そしてまくらことばは、世の中に善きものを積み増しするそういった人たちがくれた、忘れられない記憶への感謝を歌うバンドでありたい。

早川義夫さんは名著『ラブ・ゼネレーション』で次のように書いておられます。

フォークは忘れようと唄い

ロックは忘れろと唄い

謡曲は忘れられないと唄う。

 だとしたらまくらことばは、やっぱり歌謡曲バンドだな。