【魔女の宅急便】 キキが飛べなくなった理由 【スタジオジブリ】
こんばんは。吹雪です。
みなさんはスタジオジブリは好きですか。
私は、小さい頃はジブリの音楽やファンタジックな世界が好きでしたが、
今はジブリ作品の持つメッセージを取り出すのが好きになりました。
今日はそのことについて少し書きます。
テーマは、魔法や奇跡を起こせる、そのかけがえのない感情
好きな方も多いでしょうし、見たことがない人を探すのは難しいかもしれません。
ちいさな魔女が故郷を離れ、唯一使える魔法、ほうきで空を飛ぶ魔法を使い、
宅急便を仕事にして暮らします。飛べなくなるスランプに陥るものの、
いろいろな人に支えられ、影響を受けて再び飛べるようになるというお話です。
キキが飛べなくなったときの表現力は特にすごい。まさに山場を感じさせます。
飛ぼうと努力し、坂道をかける足の描写や、大切なほうきが折れたときの脱力感は、
ぐいぐいと視聴者をひきつけ、スランプの焦燥を巧みに共感させます。
もう一度飛びたい、そのひたむきな思いが伝わるからこそ、
もう一度飛べたときの、喜びと奇跡が、説得力を持つのでしょう。
飛べなくなるときのキキはこんな状況にいました。
キキ同じくらいの年齢の子の家にニシンのパイを届けに行ったとき、
その女の子は、きれいな服を着て遊び、働いているキキに冷たくします。
キキはトンボという空を飛ぶことを夢見る少年と仲良くなるものの、
上記の女の子に対する嫉妬や嫌悪感などの気持を感じた後、
突然黒猫のジジの言葉がわからなくなり、空も飛べなくなります。
見ていると何となく納得して気にとめない映画の進行と描写力ですが、
なぜ、あの女の子にいやな気分を感じたら飛べなくなったのか、考えてみたいと思います。
じつはここに、人が魔法を起こせるときの、かけがえのなさと素晴らしさを伝えたい、というこの映画のメッセージを読み解くカギがあるのです。
魔法を取り戻すまえと、あとの違い
キキは、自分が飛べなくなったことを、ジジの言葉がわからなくなったことによって気づきます。
しかし、再び飛べるようになったのに、ジジの言葉はもどりません。
なぜでしょうか。
飛べなくなった/飛べるようになった、という対応だけ見ると分かりづらいのですが、
「使えるようになった魔法が変わった」からだと考えると納得がいきます。
では、あの女の子に対していやな感情を持っていた時、どんな魔法が使えなくなったのでしょうか。
それは子供らしい無垢さによって引き起こすことのできる魔法=奇跡です。
動物と話ができる、みんな友達になれる、きちんと挨拶さえすれば誰もが隣人となれる、世界はまだ自分のもの、そのような純粋さが、最初のキキの魔法だったのです。
しかし、自分の中にある嫉妬に気づき、現実に打ちのめされ、そのような奇跡を起こせなくなります。世界が変わってしまったのです。世界を見る自分が変わってしまったから。
新しく獲得した魔法
新しく魔法が使えるようになった状況は、気球船から落ちそうになったトンボを救おうと、デッキブラシにまたがり、真剣に集中したときです。
ここの描写も、空気全体が持ち上がった浮遊感や、デッキブラシが本気になったユーモアなど、卓越したものがあります。
緊張感と言い、魔法を使えるようになる説得力といい、素晴らしい。
この時に使えるようになった魔法こそ、大人になっても使える魔法、大人になっても起こせる、かけがえのない奇跡ではないでしょうか。
この魔法=奇跡は、真剣に人を思う気持ちそのものであり、この気持ちが引き起す力です。
だから、もう一度空を飛べたとしても、ジジの声は戻らないのです。
急ぎ足で書いてしまいましたがいかがでしたか。
純粋無垢、人を思う気持ち、ふたつの魔法の素晴らしさを伝えながらも、
強く生きていくことの大切さを優しく、楽しく描いたこの作品、
もう一度見るときは、どこかで今日書いたことを思い出して鑑賞してくださると嬉しいです。
ところで、まくらことばは、止まった時間を動かす魔法を奏でたいと思っています。
ではこの辺で。チャオ!!