布団あります まくらことば活動日記

歌ものロック/ポップスバンド、まくらことばのブログです。

海と「ソレイユ」の話

 こんにちは、まくらことばのサトヤマです。
今日は秋らしいからっとした晴れの一日になりそうですね。

さて、最近読んだ高橋久美子さんの『思いつつ、嘆きつつ、走りつつ、』という本に、「ああ、これすごいわかる」という一節がありました。
それは、高橋さんが「『自然』と聞いて、好きな場所がある」として、瀬戸内の島々を挙げられているところです。
高橋さんは愛媛のご出身ですが、私も広島県福山市というちょうど瀬戸内海を挟んで反対側に生まれ育った人間ですので、あの穏やかな瀬戸内の海が自然の原風景だったりします。
高橋さんも書かれているように瀬戸内海は本当に穏やかで、海というよりは湖といった趣で。
そこに小さな島がぽつりぽつりと浮かぶ多島海の風景は、世界的に見ても珍しいのではないかと思います。
たぶんですが、すべての瀬戸内海を望む場所において、島が視野に入らないところはないのではないでしょうか。

瀬戸内の代表的な眺望のひとつとされるのが、備後の古くからの港町・鞆の浦にある福禅寺の対潮楼から望む風景とされています。

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これはまさに箱庭的な美で、瀬戸内の穏やかさを象徴する情景だと思います。
私は2、3年ごとに帰省するのですが、近年は帰省するたびに地元に帰るというよりは観光旅行に行くという気分になっており、この鞆の浦や同じく古くからの港町で大林映画で有名な尾道などを探訪するのが楽しみとなっています。

こうした瀬戸内海の風景を海のイメージとしてインストールしている私にとって、釣りで訪れる房総半島から望む太平洋は、まったく想像の外にあるものでした。
白い荒波が磯を洗い続け、どこに立っても水平線だけが見える広大なパノラマ。
これが同じ海なのかと思うくらい新鮮な驚きをもって、房総の海辺で竿を振り続けたものです。
エメラルドグリーンでとろんとした水をたたえる瀬戸内海と違って、容赦なく背丈以上の波が打ち寄せる房総の磯辺に立つと、「あ、ぬかったら死ぬな」と思うような緊張感があります。
波立つ磯を渡り歩き、魚が潜むであろうポイントめがけてルアーを投げ込む遊びは、釣果如何にかかわらず、スリリングで刺激に満ちたものです。
最近はバンドに夢中で釣り仲間にも不義理しっぱなしで面目ない限りですが、またいつか、自然と体が欲するように房総の海を目指して夜明け前に車を走らせる時が来るだろうと思います。

そんな房総の海を毎週のように目指していたころ、私が道中の車内でよく聴いていたのは中納良恵さんのソロアルバム「ソレイユ」でした。

エゴラッピンももちろん大好きなのですが、このソロアルバムで改めて中納さんの魅力を発見したというか、こんなにすごい歌い手でありソングライターであったんだと再認識したというか。
エゴラッピン昭和歌謡とかムード音楽、ジャズなんかの色合いが濃いのに対し、「ソレイユ」はシンガーソングライター然とした佇まいの作品です。
ピアノを基調としたアレンジのSSWアルバムということで、ユーミン大貫妙子矢野顕子などを想起させもしますが、個人的にはそういったシティポップスよりも、キャロル・キングのやっていたバンド、ザ・シティの乾いた感触、フェアーグラウンド・アトラクションのノスタルジーへの眼差しがありながら、ポストロック的な響きも備えた作品のように思います。

とにかくこの作品、どの曲もメロディと歌詞がいいんですよ。
中納さんは超絶的に歌が上手いですし音楽的才能に溢れた方ですので、腕の立つミュージシャンを数人集めてセッションすれば、アルバムなんて簡単に作れちゃうと思うのですが、「ソレイユ」は実に丁寧に練り上げて作りこんだ作品です。
つまり技巧が前面に出ているのではなく、あくまで技巧は曲に従っている。
この順序ってすごく大事だけど逆になりがちで、それを抑制するのはセンス以外の何物でもないと思うのですが、やはり中納さんは技巧とセンスを兼ね備えた人なんだなぁと。

でね、タイトルトラック「ソレイユ」に顕著なように、とにかくこのアルバムの曲ってせつないんですね。


中納良恵『ソレイユ』 - YouTube

私ですね、曲を作るうえで、「せつない」ってのは実は一番安直だと思うんです。
作詞作曲なんて、ちょっと方法論をかじれば実は誰でもできるのですが、その「誰でもできる曲」ってのが、たぶん9割がた「せつない曲」になると思います。
「ナキウタ」とか「コイウタ」とか、聴くと脳が溶けそうなコンピ盤があるじゃないですか、ああいうのに入ってるのって、ほとんど全部「切ない恋の歌」とか「不器用でまっすぐ、でも切ない」とかそんなんばっかでしょ、「会いたくて震える」とかさ。
料理でいえば、素材に塩をかけただけで一丁あがり、みたいな。

でもね、料理において塩味が最も簡単かつ最も奥深いのと同じように、ポップソングにおいて「せつない」ってのは、間口は広いけど極めるのは恐ろしく困難な道なんですよ。
じゃあその困難を極めたのってどんな曲なのよという問いへの答えが、まさに「ソレイユ」の楽曲群だと思います。

「ソレイユ」を聴くたびに、あの房総の海と広大な風景が脳裏に浮かんできます。
私が自らの原風景と大きく異なる房総の自然をこよなく愛するのも、「ソレイユ」と不可分になった記憶が、最良の体験のひとつとして想起されるからかもしれません。
フレーミング・リップスの「The soft bulletin」なんかもそうですが、風景と相性のいい音楽ってのがあって、そういった音楽は長く聴けるものが多い気がします。
「ソレイユ」、秋の行楽のお供に、ぜひ。