年末年始のテレビから
この年末年始、振り返ると「けっこうテレビ見てたな」と感じます。
なんか最近はテレビをオワコン扱いする風潮があって、実際30代ってあまりテレビを見ていないという調査結果もあるらしく、周りでも「テレビ見てない」という人がちらほらいたり。
私はどっちかといえばテレビ好きなほうなので見る番組は見ている、という感じですが、確かにどうでもいい番組が増えてきたとは思う。
いっぽうで優良コンテンツも増えてきている気がして、プロの制作者でなければつくれない、これぞテレビ!という番組もあると思っています。
つまんない番組って一定の法則というか傾向があって、それは端的に言うと「一度に出てくる人が多くなればなるほどつまんなくなる」のではないか。
たとえばクイズ番組って本来すごく優れたコンテンツだと思うんだけど、そこに人をいっぱい出していろんな要素を足していけばいくほどつまんなくなる。
私が現存するクイズ番組で一番好きなのは「アタック25」ですが、ああいった感じでクイズの本質のみで勝負すれば絶対面白いのに、おバカキャラの珍回答とかリアクションとか、意外とこの人インテリなのねとか、パーソナリティに焦点を当てると途端にどうでもよくなる気がします。
あとつまんないのが、ようつべとかの横流しの衝撃映像とかハプニング映像を見せる番組で、あれも企画そのものは悪くないと思うのですが、それに対するタレントのリアクションとかほんとどうでもいい、いらん。
ワイプについては否定論が当のテレビ関係者からも多く出ているようですが、ホントにあれって視聴者で望んでいる人いるんですかね?
なんか最近は「必要悪」みたいな扱いになっていて、否定論を言うのは大人げない、あれは甘受しなきゃいけないんだみたいにすらなってるんですが、一回ここで冷静になって考えたほうがいいですよ、ワイプ誰得なんだ?って。
対する優良コンテンツって、やっぱりシンプルだと思うんです。
シンプルな企画、必要最小限の出演者、必要最小限の演出。
そういうコンテンツが面白いって再認識させたのはやっぱり「水曜どうでしょう」で、あの番組がテレビ制作者に与えた影響はすごく大きかったんじゃないか。
実際、昨晩の「Youは何にしに日本へ?」特番で、「水曜どうでしょう」へのオマージュが臆面もなく全開にされていたのを見て、「やっぱりそうなんだ、うんうん」となぜか嬉しくなってきました。
シンプルな本筋、ガチンコであること、演出は常に事実に従っていること。
そして一番大事なのが、制作者が情熱をもち、ちゃんと汗をかいて番組を作っていること。
ここに私は「水どう」の色濃い影響を感じました。
年末の「笑ってはいけない」もそうだったのですが、やっぱり制作者が知恵を絞り、苦心惨憺して作り上げた番組は面白い。
そしてそれはユーチューバーとか素人には絶対できない、プロの技術とノウハウに裏打ちされたものなんですよね。
ドラマではやっぱり「相棒」は面白くて、あれも情熱と手間がないと絶対に出来ないコンテンツだと思いました。
要はお金とかコネクションって見ている側にはどうでもよくて、作り手がきちんとした仕事をしてるかどうかが大切だと思うんです。
ネットで和田アキ子がクソミソに叩かれているのも、まぁ実際のところは関係者じゃないのでわからないんですが、あの人がコネクションとか大人の事情からポジションを確保されているように見える、既得権益の象徴的な存在だからだと思うんです。
極論、「誰が出てるか」というのはどうでもよくて、「何をやってるか」の方が数百倍重要だと思います。
企画がしっかりしていれば、なんだったら出演者が素人でも面白い番組は作れる。
以前ラジオで太田光が言ってたのですが、テレビに出る人間というのは、職業的訓練を受けたアナウンサーを除いて基本、素人ばかりだと。
確かにその通りで、タレントって資格要件より存在が常に先行する存在なんですよね。
テレビにおけるプロは制作者であって、制作者がきちんとプロクオリティの仕事をすれば必ず面白い番組ができる。
逆に言えば出演者に頼っているようではつまんない番組しかできない、ということではないでしょうか。
きちんと手間ひまをかけて汗をかき、情熱をもって作れば面白い番組はできる。
これってテレビだけじゃなくて、すべてのものづくりに言えることだと思います。
音楽はどうかというと、これはけっこう「誰がやっているか」の比重がデカいコンテンツなのですが、それはあくまで聴き手側の受け取り方であって、作り手側がそれを意識したらやっぱり駄目だろうと思います。
無我の境地で、情熱をもって汗をかきながら作る。
そして何より、テレビ番組における企画、つまり曲がしっかりしていないことには何も始まらないということではないかと。
テレビマンの素晴らしい仕事の成果に、おれも頑張ろう!と思った年末年始でした。