「枕じゃなくて招待状」、聴いてほしいなぁ
こんにちは、サトー@まくらことばです。
3日間も雨が続いたというのは、ちょっと記憶の限りでは1993年の夏休みが確か雨ばかりの毎日だったように覚えていて、それ以来ではないかと思います。
今日は梅雨の中休み、久々に朝は日が差していましたが、どうやらすぐに次の雨雲がやってくるみたいですね。
昨夜(または今朝になるのかな?)、久しぶりに印象的な夢を見ました。
私は戦争映画については結構観ているほうだと思うのですが、今までに観た戦争映画の強烈なシーンだけをつなぎ合わせたような夢。
といっても戦闘シーンではなくて、大都市に総帥が現れて狂信的な儀式が始まるとか(ラオウもかくやのバカでかい馬に乗ったトージョーと思しき人物が出てきて、なぜか民衆は「ワセダ、ワセダ」の大合唱になった)、戦闘シーンよりもっと陰惨なゲットーの掃討作戦みたいなシーンとか、沖縄的な設定の街の中をひたすら逃げているんだけど誰が敵で誰が味方かわからず焦燥感と猜疑心で気が変になりそうとか、そういう場面が脈絡もなく続きます。
中でも強烈だったのがヒトラー親衛隊みたいな集団の現場指揮者で、その男は幾多の戦闘で首から上がすっかり焼け焦げているんだけど、発泡スチロールみたいになった髪を脳ミソの形状に整えてるわけ。
その脳ミソヘアはとんでもないサイコパスで……ごめんなさい、これ以上はちょっと書けないな。
とにかくね、ろくでもない夢を見て、休息のはずの睡眠によって逆に疲れ果ててしまったのが今朝の私なんです、って何の話や。
さて、私はいつも思うんですが、楽しいことってのは自分の意志とか努力でどうにかなる部分と、運とか時のめぐり合わせとか当事者以外の人の意志とかによって左右されるどうにもならない部分、その2つの要素が絶妙なバランスで成立しているものだと思うんです。
たとえば釣りという遊びが典型的。
釣りってのは確かに上手/下手が存在して、上達のための道筋も明確に存在しているんだけど、半分かそれ以上の要素は自然に委ねざるを得ない遊びなんですね。
人智のおよぶ範囲と人間にはどうにもならない範囲の両方によって成立しているから、釣りは人生レベルで楽しめる遊びたり得ているのだろうと思います。
そしてバンドってのもまさにそんな感じなのかなと思ってて、最近とくに。
まずもってバンドやろうぜ!って奴は、それが内に秘めたものであれ外に発散されているものであれ、人並み以上にエゴをもった人間だと思うんです。
エゴという言葉が悪ければ表現欲求とかでもいいんだけど、とにかく「こんなことがやりたい」ってのを強烈に思っている。
その思いをかたちにするためには努力が必要だろうし、メンバー同士のぶつかり合いも避けて通れない*1だろうけど、とにかくそうやって、暑苦しいまでの自意識が渦巻いている場所がバンドという組織なのではないかと思います。
しかし。
自意識のぶつかり合いを通じて熱量が発生し、そこからうまく作品を取り出すことができたならば、その段階から話はちと違ってくる。
バンドはメンバーのものかもしれないけど、作品はメンバーだけのものじゃなく聴く人それぞれのものなので*2、非常に公共性を帯びた存在となっていきます。
だからそれを作った当人であるバンドにとっても、いったん世に放った作品については、もうどうにもならない。
それがどう解釈されようが、意図とはまったく違う受け取られ方をしようが、そこに口をはさむことはできないしやるべきではないだろうと思います。
そうなるとね、今度は面白いことに、自分たちの作品にバンドが影響を受け始めるんですよね。
作品が帯びるようになった公共性がバンドにフィードバックされて、エゴの渦巻く鍋みたいだった暑苦しい場所に、涼しげな風が吹いてくる。
いままでバンドに関するあらゆることは自分たちの管理下にあると思っていたけど、どうやらそれは幻想にすぎなかったようだ、バンドってのは作品を通じて、どんどんどんどんやってる当人たちの手を離れていくものであることに気付くんです。
当人の意志で作り上げる部分と、当人の意志ではどうにもならない部分の共存。
釣りと同じくバンドをやることが楽しいのは、同じ神秘があるからかもしれません。
自分たちの手に負えなくなった時、バンドは初めて、多くの人に聴かれるべき音楽を奏でる資格を手にできると思うのですが、注意しなきゃならんのは、「自分たちの手を離れていく」ことと「多くの人の意を汲む」ことはまったく別の話ってこと。
そこを勘違いすると、今度は水で薄めたような作品しかできなくなる。
とどのつまり作品は作者のエゴからしか生まれないわけで、「聴く人のことを思いながら自分に正直に作る」、それこそが目指すべき姿勢ではないかと思います。
だからね、バンドが自分たちの手を離れていってどんどん意図しない方向に広がっていけばいくほど、作り手としては純粋になっていくべきなんです。
真心ブラザーズの「GREAT ADVENTURE FAMILY」という曲に、「純粋な心を蝕む経験は/きっときっと君を/もっともっと純粋にするだろう」というフレーズがあってもう大好きなんだけど、例えば今日私が述べたようなことがそうなのかな、なんて思ったりします。
まくらことばというバンドについていえば、今ちょっと、自分たちの手を離れつつある段階なのかな、と。
私はこの先、もっともっと、自分でも思っていなかった方向にこのバンドが転がっていくことを望んでいますし、その原動力となるような曲を作りたいと願っています。
誰かのことを想いながら自分に正直に。
だから、ってわけでもないんだけど、どんな経緯であれ、まくらことばのことを知った人には、アルバム「枕じゃなくて招待状」を聴いてほしいなぁと思います。
あそこに収められた10の曲たちには、それぞれ、作り手の思いもたっぷり詰め込んだけど、聴く人があれこれ思いめぐらす場所も確保したつもりです。
聴いてくれる人がちょっとでも、「あ、これは私の曲かもしれない」と思ってくれたら、そんな幸せなことはありませんからね。