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布団あります まくらことば活動日記

歌ものロック/ポップスバンド、まくらことばのブログです。

あれから1年

おはようございます、まくらことばのサトーです。

今日は雪の予報でしたが、転じて晴れ間も見える朝に。

私は(仕事の話ですが)打合せ日程を変更してもらったりしていたので、なんだか拍子抜けの気分です。

でもまぁ、もう雪は勘弁ですからね、これでよかったのかな。

 

昨年2月20日、10年と半年の間いっしょに暮らしたうさぎのむむが、その一生を終えました。

明日でちょうど1年……この1年の間にもいろいろなことがあったけど、あっという間に過ぎていった時間のように思えます。

むむがいなくなってから、陳腐な言い方だけど心に穴が開いたようになっていて、穴はそのままむむのかたちだったりするものだから、たぶんこのままずっと喪失感のようなものを抱えていくんだろうなぁ、なんてことを思います。

でもそれは全然悲壮なことじゃなくて、彼がわが家にもたらしてくれたたくさんの喜びを思い出させてくれる刻印のようで、あのいとおしい10年と半年の時間を振り返るきっかけになるんじゃないかな。

 

うさぎにはさわられたり抱っこされたりするのが平気な子と、頑として受け付けない子の2種類がいるそうなんですが、むむは完全な後者、頭をなでられるのは大好きだったのですが、絶対に抱っこさせてくれないうさぎでした。

まぁ動物は全部そうだと思うのですが、うさぎは本当に繊細で、抱っこされることでストレスを感じることもあるのだと思います。

むむがうさぎとしてはかなり長寿の部類に入るのは、彼の「媚びない」性格が幸いして、あまりストレスをためずに過ごすことができたからなのかな、なんてことを思ったりします。

しかしそれは私たちにとっては少しさびしいことであり、私はいつも、「むむを思いっきり抱きしめることができるのは、彼の命が終わってしまった時なんだろうな」なんて考えていて、そう思うとなんとも言えない気持ちになったものでした。

 

しかし私は1年前、彼の亡骸を抱きしめることができませんでした。

それはひとえに、彼が私たちに先んじて体現してみせた「死」というあまりに重い現実に圧倒されたからで、率直に言って私は怖かったのです。

これから自分の愛する人の死に幾度も立ち合い、やがては自分自身にも必ず訪れる死の恐怖から、恥ずかしいことに私は少しも離れられていないことに気づきました。

動物と暮らすことは、同じ時間を生きながら全く異なる時の流れに直面することであり、迷い多き私の人生と同時並行で、むむは私にはとても受け容れることのできないスピードで、老いて死に向かっていたのだと思います。

 

この1年、むむのいない生活にも慣れてきましたが、今もふと、なぜむむがそこにいないんだろうと不思議になることがあります。

むむはもういないけど、彼が10年と半年の間に与えてくれたものは私たちにとって黄金そのものであり、それを少しでも、自分に対する強さと誰かに対するやさしさに変えていけたらいいな、そんなふうに思います。

 

むむがまくらことばに贈ってくれた「雨の喝采」という曲、嬉しいことに「好き」とか「いい曲だね」と言ってくれる人がいます。

「雨の喝采」は本当に、むむが私に書かせてくれたとしか思えません。

 

雨の喝采

 

雨も喝采に聞こえる アスファルト匂うような午後には

お茶を淹れて心静かに 窓の外を眺めて過ごそう

君のいた時間のすべて 悲しみよりも感謝あふれた

春の夜明けも夏の日差しも 秋の夕べも冬の夜更けも

どんなに回り道してもありきたりな言葉にたどりつく 僕らのブルース歌いながら

偶然に物語を見つけて日々を重ね合わせた 速すぎる時の流れ少し恨んでみたりしながら

ゆっくり失うことを知って 新しい何かを覚えよう

愛されることよりも愛することが 100倍大切だって信じていいかな

 

雨も喝采に聞こえる 潮風が届きそうな日だから

いつか訪ねる約束をした 花の咲く場所に思いめぐらそう

君を見つけた日だって 光もあれば闇も見えてた

使われていく小さな命 横目で眺め連れ出した君

どんなに捧げてみたってこの時間は 無邪気さと若さを惜しみなく奪って

成長という名の老いをそれでも祝福したんだ そんな日々が輝いて見える今日は新しい出発の時さ

ひたすら刹那だけだと知って それでも何かに心を預けよう

愛されることよりも愛することが 世界を変えるって信じてもいいかな

君のいない時を過ごして気付かされる あたりまえに夜が明けて朝が来るこの世界の強さ

心に空いた穴はそのまま生きていくんだ 思ったよりも丈夫にできてる僕ら笑い飛ばしてみた

 

まくらことばの曲は、私の自意識の産物などではなく、「雨の喝采」がそうであるように、誰かに書かせてもらったものじゃないと通用しないんじゃないか、それがまくらことばのやり方なんじゃないかと思います。

いま私は、そうした作法で、誰かのために祈るような歌がつくりたいと思っています。