ハイ・ラマズと私
こんばんは、今日も明日もあなたの街に、プレゼン活動にいそしむまくらことばのゆーすけ(サトーのリア充源氏名)です。
さて、まくらことばの活動はこれからいろいろ考えているのですが、何はなくとも曲数を増やす必要があります。
そのためってわけでもないですが、またいろいろ聴いてるところでありまして。
一連のデモづくりを経て聴く音楽は新しい発見の連続で、今まで繰り返し聴いたレコードも「そうか、こうやってるんだ」という新鮮な驚きに満ちています。
そんななか、「やっぱりこの1枚は自分にとってでけえや」というのがこれ。
ハイ・ラマズの初期のアルバム「サンタ・バーバラ」です。
ハイ・ラマズ及びこのアルバムの歴史的位置付けとかは置いといて、これって私にとっては、端的に言って「こういう音楽がやりたい」そのものなんですね。
もちろん曲のカンジとかアンサンブルを具体的に参考にしたくもあるのですが、私が理想とするのはこのアルバムに横溢するセンスなんです。
「サンタ・バーバラ」は私にとって、究極の“じゃない音楽”。
派手過ぎない、地味過ぎない、ダサくない、お洒落すぎない、熱すぎない、低温すぎない……とにかくバランス感覚が最高なんです。
かといってこれが没個性的な作品かといえば全くその逆で、20年を経ても聴き飽きない、汲み尽くせぬものがある。
きっと当時のショーン・オヘイガンは、「ハイ・ラマズってどんなバンド?」と聞かれて、「フツーのロックとかポップス」としか答えようがなかったと思うのですが、それはまさに、まくらことばの理想なのかな、なんて思います。
「何であるか」ではなく「何でないか」としか説明しようがなく、それでいてオリジナルな存在であること。
非常に難しいのですが、私はそういうバンドが好きだし、自分たちもそうありたいと思います。
以前の記事で触れたように、ハイ・ラマズを形容する記号はたくさんあるようですが、私はこの「サンタ・バーバラ」と次作「ギデオン・ゲイ」ーーまあ、「ギデオン〜」はビーチボーイズの再来(解散してないのに!)とか言われましたがーーあたりの“じゃない音楽”期を理想としています。
ショーン・オヘイガンの、才能ではなく“物の見方”で勝負するスタイル、かなり憧れるなぁ。