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布団あります まくらことば活動日記

歌ものロック/ポップスバンド、まくらことばのブログです。

現実と幻想

昨日ですか、洗濯物をたたみながらヴァン・ダイク・パークスの『ソングサイクル』を聴いていたんですが、今までわけわからん音楽としか聞こえなかったこのアルバムが、急に「いいじゃん!」と思えるようになったんです。

なんかそれまではヴァン・ダイクってドラッギー・ミュージックっていうか、「この人キメてんのかな」みたいな、そういうの好きじゃないんだよなぁみたいな印象しかなかったのですが、昨日は全然そんなことなくて、ああ、これは正気の人間が作ったきわめて知的な音楽なんだ、と。

ようやく。

 

二元論は非常に危険と戒めつつやっぱり話が通りやすいので適用していくと、芸術のモチーフとは、ざっくり「現実」と「幻想」の2つに分けられるとします。

私はいままで、幻想ってやつは現実をより正確にとらえるための方法論であって、あくまで現実をどう切り取っていくかが芸術であろうと思ってきたフシがある。

方法論はなんでもいいんですが、最終的なアウトプットを測定する度量衡としては、「どんだけリアルか」を採用してきたように思います。

しかし、いろいろな表現に触れていくなかで、現実に帰着しない幻想があってもいいんじゃないか、幻想そのものが表現対象であってもその作品の良し悪しには関係ないんじゃないか、そう思うようになってきました。

現実と幻想の相関関係ってのも一筋縄ではいかなくて、どちらかが手段でどちらかが目的と役割分担されているわけでもなく、お互いにフリーポジションで構わない。

ただ、人間の作るものだから、すべての幻想の出発点は現実にあるというのは間違いないし、言葉とか音楽といった「科学」を使わざるを得ないところからも、やっぱり母はいつでも現実だろう。

でも、いざ作品の中においては、そこに主従関係などなくてもいいと思うようになってきたのです。

 

そういう感覚で「ソングサイクル」に接すると、これは架空の映画のサントラみたいなものなのかなと。

「ソングサイクル」がリリースされたのは1968年、つまりポップカルチャーが完全に開花した時代の作品ですが、同時代の作品にはあまり見られない、どこかノスタルジーを感じさせるものがある。

再びすごく乱暴なことを言えば、ポップカルチャーってのは「黒人文化に影響を受けた白人文化」という側面があって、音楽でいうと白人的なメロディに黒人的なリズムとハーモニーが加わったという感じではないかと。

そんで文化的に言えば、黒人文化ってどっかしら“ハード”なんですよね、さっきの話で言うと現実寄りのカルチャー。

そんで黒人文化の影響を受ける前の白人文化って、そのハードさが備わっていなくて、例えば戦前のディズニー映画とかそんな感じじゃないかと思うんです、こっちは幻想寄りのカルチャー。

ということで「ソングサイクル」のノスタルジーとは、ポップカルチャーが成立する以前の、きわめて白人的な文化の再興ではないかと思えるのです。

(ここでいう「白人」「黒人」というのはある種の文化的表象というか記号であって、人種的なニュアンスはゼロです、念の為。)

 

偶然かしら、最近読んだ漫画が近藤よう子『五色の舟』だったり、観た映画がエミール・クストリッツァアンダーグラウンド』だったり、現実と幻想(あるいは生と死)の世界をシームレスに行き来するような作品だったので、その流れで「ソングサイクル」を聴いて「あっ、そういうことか!」と腑に落ちたのかも。

あ、でもその一方で現実成分100%の『SEX and the CITY』を観て大いに盛り上がったりしているので、ホント、どっちがいいとかって話じゃなく、ね。