Walk Out to Winter
今年も東京に雪が降った。
朝起きてカーテンを開け、狭い庭の向こうの木々が雪によってしなだれているのを確認すると、通勤の厄介さを憂うと同時に、少し心が弾む自分もいた。
見慣れない人間にとって雪はいつだって特別なものだ。
ましてその季節初めて見る雪ならば、感じるものがあって当然だろう。
そしてその冬初めての雪は、決まって僕に、ある年の雪景色を思い出させるのだった。
1996年1月、正月が過ぎセンター試験を直前に控えた不思議と生暖かい夜、僕たちは田舎道をあてもなく自転車で走っていた。
僕たちはみな浪人生で、目前に迫った受験におののきながら、かといってそれを真正面からとらえることもできず、夜中に家を抜け出しては意味のない遊びを繰り返していた。
遊びといっても金があるわけじゃないし、そもそも盛り場など縁のないメンツだったので、誰かの家に行ってくだらない鍋を作ってみたり、自転車で町を徘徊したりして、疲れたらなんとなく解散するような他愛のないことばかりだった。
進学したり就職した大半の同級生たちがクルマを駆って女の子と遊んでいる時、僕たちは小学生時代とさして変わらない時間の過ごし方をしていたわけだ、しかも目の前の大きな試練から逃避して。
それでも僕たちは、不思議と痛快だった。
それは、同級生の大半が数十年後の将来までほぼ見渡せてしまう場所におさまってしまったのに対し、僕たちは未だ何一つ決め打ちをしていないという妙な優越感を抱いていたからだと思う。
もちろん、未来は何ら保証されておらず、現にいま未来を大きく左右する事柄から逃げようとしているのだから優越感など滑稽にすぎるが、(それがどんなに小さくても)可能性しかない浪人という身分の不思議な浮遊感は、高校時代まで一度も経験したことのない軽やかさで満たされていた。
僕たちは現実に対して何の効力ももたず、社会において何の立場も占めない代わりに、あらゆる義務と責任から免除され(勉強する/しないはとどのつまり個人の問題だ)、それでいて他人から咎められることのない特権を手にしていたのだ。
そして僕たちは、強い友情によって結ばれていた。
とりわけKくんと僕は、互いを無二の親友と認め合う関係で、(少なくとも僕は)生まれて初めて得た、彼と自分の存在を秤にかければ自分が跳ね上がってしまうくらいの存在だった。
彼と過ごす時間は、それまでのどんな対人関係よりも楽しかったし、彼の思っていること・感じていることはすべて、僕にとって重要なことだった。
僕は彼と一緒にいる時間が楽しくて仕方がない半面、少しずつそれが過ぎていくことに恐怖を感じた。
未来のことなどほとんど考えていなかったけれど、今自分が過ごしている時間が、二度と戻らないものだということは何となくわかっていた。
だってこんな美しい時間がいつまでも続くほど、人生は甘くないはずだから。
僕はそれまで、何人かの女の子に対して淡い憧れは抱いていたものの、なんだかんだいって自分を最も愛して生きてきたのだろう。
でもKくんと仲良くなってからは、彼を最も愛するようになった。
もともとKくんは幼馴染で好きな友達の一人だったけど、グループの違いなどからいつもどこか距離があって、遠巻きに見ていただけだった。
夏のある日、予備校の自習室で近くに居合わせた彼に思い切って話しかけた瞬間から、僕たちはかけがえのない親友同士になったのだ。
生暖かい夜の後、さすがに真面目にやらないとまずいと思った僕たちは、それから試験が終わるまで会うことなく過ごした。
そして、すべての試験日程を終えた2月のある日、全国各地の試験会場から戻ってきた僕たちはすぐにKくんの家に集まった。
僕は東京の大学を3つ受け、その時点で1勝1敗の結果が出ていた。
しかし「1勝」の学校は入試の時雰囲気が好きになれなかったので、あと1つが駄目でも行く気はなかった。
すなわちまだ何も決まっていない、きわめて不安定な状況にあった。
その事実はそれなりにショックではあったが、それよりも僕は、またこうしてKくんたちと集まって無為の時間が過ごせる日常を取り戻したことがうれしかった。
僕は生まれて初めて行った下北沢の古着屋で買ったコートを着て行って、みんなに自慢した。
他の者もほぼ入試の結果が出ていたが、みな不合格の報せばかりだった。
また、結果発表が残っていても、それまでの成績や手ごたえからほぼ絶望的な状況だという。
Kくんも地元の大学には受かっていたが、もう完全に東京に照準をしぼっていたので、事実上進路は未定だった。
つまり僕の最後の1校を残して、どうやら誰もが失敗という結果になりそうなのだ。
でも僕たちはそんなことは意に介さず、それまでと同じように大喜利をやったり、自転車で他の友達の家に行って音楽を聴いたりして、夜通しくだらない遊びに興じた。
徹夜でハイテンションになったからだろうか、陽も高くなった頃に誰かが「Y谷の奥に行ってみようや」と言った。
Y谷は谷筋に集落の形成された地区で、だらだら坂に沿って家が続き、奥に行けば行くほど家が少なくなって山深くなるという場所だった。
僕らの地元には同様の「谷」がいくつかあったが、男の子にとって、谷の奥の奥まで行ったことがあり、そこがどうなっているかを自分の目で確かめてくることは、勇気の証であり、いつか挑戦すべき冒険だった。
まさか二十歳を前にしてこの通過儀礼にエントリーするとは思わなかったが、皆いつか行ってみたいと思っていたのだろう、「行こう、行こう」と満場一致で採決された。
Y谷は舗装道が続くところまで小学校のマラソンコースになっているので、終点に大きな池があることは、この町の人間なら誰でも知っている。
しかし、そのさらに奥、鎖が張られたけもの道の先に何があるのかは、蛮勇を振り絞った者でしか知りえないヴェールに包まれた世界だ。
小学校のころから「Y谷の奥行ってきた」と名乗りを上げる者はいたが、それは大いに盛られた自己申告にすぎず、5人いれば5通りの話があるような神話の類だった。
Y谷の終点、大きな池のほとりに自転車を停めた。
ここから先はほとんど人が立ち入ることのない世界だ。
その日は快晴だったが、辺りには数日前に降った雪がほとんど手つかずの状態で残っていた。
雪を踏みしめながらけもの道を進むと、あちこちに散弾銃の薬莢が捨ててあった。
ここは時季によっては狩猟が許される場所なのだろう、入口に鎖が張ってある理由が呑み込めた。
とはいえ僕たちはもう子供ではない。
勇気を振り絞りさらに雪をかきわけて進むと、この町にこんなものがあったのか、と思わせる大きさの砂防ダムが現れた。
砂防ダムの低くなったところを乗り越えてまた雪の中を進んでいくと、今度はさらに大きな砂防ダムが現れた。
その先はもう進むことはできず、急斜面と草木の生い茂った原野が広がっているだけだった。
それは達成感があるようで、どこかあっけない結末のように思えた。
そういえば昔、誰かが「あそこにはダムがある」と言っていたっけ。
誰だか忘れたけど、そいつは真の勇者だったわけだな。
僕たちはダムの上に這い上がり、自分たちの進んできた方向の景色を眺めた。
眼下には僕たちが19年間を過ごした小さな町が広がっていたが、そこを抜け出すための手形は、その時点で誰の手にもなかった。
徹夜明けからのY谷探検だったので、僕はふらふらになって帰ると、そのまま泥のように眠った。
深い深い眠りから覚めると、もう翌日の朝になっていた。
気がつくとその日は、残り1つの合格発表の日だった。
僕は自分の部屋にあった子機から大学のテレホンサービスに電話をかけ、自分の受験番号をプッシュした。
すると、コンピュータの声が「おめでとうございます」と無機質に告げた。
僕のひとりぼっちの東京行きが決まった瞬間だった。
一応、1年間目指してきたことの結果が出たのだから、うれしいという思いは当然あった。
でも同時に、さっきまでそこにいた、Kくんたちと過ごした美しい時間が終わりを告げたことに、呆然とする自分もいた。
これからおれは、自分だけの人生をひとりで始めなければならないーー漠然とした不安と巻き戻すことのできない時間の流れが僕を圧倒した。
その頃はまだ分かっていなかったけれど、それは僕の少年時代が幕を閉じた瞬間でもあった。
アズテック・カメラの名曲「Walk Out to Winter」(冬へと歩き出そう)には、こんな一節がある。
Walk out to winter, swear I'll be there
Chance is buried just below the blinding snow冬へと歩き出そう 僕はそこにいるって誓うよ
チャンスはまばゆい雪の下に埋もれているのだから
この曲で言う「冬」とはメタファーであり、今までのこと(ここではパンク)が終わってしまった時代に、あえて厳しい環境に歩き出て新しい何かを見つけようというメッセージだと思われる。
皮肉にも僕は、少年でいることのできた最後の日に雪にまみれ、もうすぐ春になろうとする季節の中、まるで寒い冬に向けてそうするように、美しい時に別れを告げて歩き出すことになった。
僕はKくんを最も愛した季節を終え、新しく愛する誰かを探しに行かなければならない。
それは今まで経験したことのない、困難を伴った、思い通りにいかないことばかりの愛になるだろう。
なぜなら今度僕が愛する対象は、いよいよ異性になるのだから。
実際僕は、その年の春が終わろうとするころ見事に同じ大学の女の子を好きになり、雪が降るかなり手前の秋に、玉砕としか形容しようのない手痛い失恋を経験した。
でもそんなことは、あの2月の日に雪にまみれて冒険していた少年の自分には、知る由もないことだった。
毎年冬になると雪が降る。
でも、あの最後の少年の日に見た雪が降ることは二度とない。
もう戻らない季節の最後に見て触れたあの雪こそ、実はロディ・フレイムが歌った、チャンスをその下に隠したまばゆいばかりに輝く雪だったのかもしれない、今はそんな風に思う。