布団あります まくらことば活動日記

歌ものロック/ポップスバンド、まくらことばのブログです。

ジャックスとはっぴいえんど~ジャックス編

前回の記事の続き。

好き嫌いとか良し悪しとは全く別に、総じてGSの音楽的レベルは、残念ながら同時代の英米のロックバンドに比べ、かなり低い水準にありました。

GSの音楽的発展を阻害していたのは、本質が芸能ムーブメントであったことが最大要因であると指摘しましたが、それ以前に、バンド形態のポピュラー音楽というフォーマットを使って自己表現するとか芸術性を追求していくという発想自体が、当時の日本にはまだなかったのだと思います。

いち音楽ジャンルとしての「ロックンロール」はあったとしても、ディラン以降の、批評性や芸術性を内包した表現としての「ロック」は、GSには存在しなかったのです。

 

では、日本におけるロックミュージックの嚆矢となったのは誰か。

私はこの問いに、ジャックスとはっぴいえんどである、と答えます。

場合によってはここにフォーク・クルセダーズを加えてもいいのですが、私自身が関西系シーンについて暗いことと、いささかトリックスター的な側面をもつフォークルを同列に論じると収拾がつかなくなるため、ここではあえてオミットします。

 

ジャックスは、GSと同じ時期にユースカルチャーを席巻していたフォークソングを出自とします。

60年代後半の日本のフォークソングとは、マイク真木「バラが咲いた」(1966)のヒットから始まる朴訥なポピュラーソングの系譜で、70年代に全盛期を迎えるいわゆる四畳半フォークや、吉田拓郎などの旅情フォークとはまた別のものです。

ジャックスのソングライターでヴォーカリスト早川義夫は当初、ナイチンゲイルというPPMスタイルのフォークバンドを組んでいましたが、メンバーの変遷などを経てジャックスに進化していったそうです。

まごうことなきロックバンドであるジャックスですが、その音楽性は一筋縄では語れません。

早川義夫のソングライティングはフォーク風のシンプルな骨格をもっていましたが、「バラが咲いた」風の朴訥さはなく、アシッドフォークとも言える混沌とした内面性をたたえていました。

また、早川は真の意味でビートルズに影響を受けたミュージシャンであり、メロディメーカーとしての卓越性は、ビートルズの楽曲を自分なりに消化した結果もたらされたと思われます。

多くのGSバンドもビートルズからの影響を公言していましたが、それはせいぜいマッシュルームカットにしてバイオリンベースを弾く程度の表層的なものにすぎず、特に「ラバーソウル」(1965)以降のアート爆発期のビートルズから本質的な影響を受けたミュージシャンは、当時の日本ではほんの一部の才能に限られていたのです。

もうひとつジャックスの音楽的特徴を裏付けるのが木田高介のジャズドラムで、ドラム以外にもマルチプレイヤーとして貢献した木田は、当時の音楽シーンでは驚くべきセンスと引き出しの多さをもっていました。

そしてジャックスにはブレーンと言える人たちが数名いました。

いくつかの曲で作詞家としてクレジットされている相沢靖子、柏倉秀美などのことですが、彼女らは和光高校の実験的演劇集団「パルチ座」のメンバーだったということです。

セカンドアルバム「ジャックスの奇蹟」に多くのゲストミュージシャンが参加していることからもうかがえるように、ある種のアーティスティックなコミュニティを背景にしていたことも、ジャックスの大きな特色だったと思います。

 

内省的なソングライティング、一筋縄ではいかない音楽性、そしてアート色の強いコミュニティというバックグラウンド――以上の要素を並べたとき、思い浮かぶバンドはないでしょうか。

そう、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドです。

ヴェルヴェッツは1967年、アンディ・ウォーホルによるバナナのグラフィックであまりにも有名なアルバム「The Velvet Underground and Nico」でデビューします。

この歴史的名盤を早川義夫はじめジャックスのメンバーおよびブレーンの誰かが聴いていたかどうかは不明ですが、1968年のジャックスの1stアルバム「ジャックスの世界」と「The Velvet Underground and Nico」の共鳴性は驚くべきものがあります。

これは影響、ましてや模倣などではなく、シンクロニシティとしか言いようがない現象だと思います。

実際に楽曲を検証してみましょう。

「ジャックスの世界」の1曲目を飾る衝撃作「マリアンヌ」です。

いつ聴いても奇跡的なレコーディングであると思わざるを得ないこの曲、シド・バレット在籍時のピンクフロイドや、ジャズロックの始祖・ソフトマシーンなどを彷彿とさせるものもあります。

表現としての迫真性、歌詞と音像の精神性、そして何よりも曲の強靭さ、どれをとっても数多のGSバンドとは完全に別次元の音楽であることがおわかりいただけると思います。

そして、ヴェルヴェッツの1st収録曲から「Run Run Run」。

どうでしょうか。

具体的に似ているとかではなく、表現としてかなり共鳴するものがあるというか、もう同じことをやろうとしているんじゃないかとすら感じます。

 

ジャックスは、早川曲以外も粒ぞろいでした。

ギターの水橋春夫の手になる「時計をとめて」は、イースタンユースのカバーで知っている方もいるでしょう。

「マリアンヌ」のように鬼気迫る感じではありませんが、静謐な中に、どこまでも引き込まれていくような奥行きを感じます。

しつこいようですが、あの能天気で稚拙なGS全盛期の1968年日本で、これだけ深淵に迫る表現をしていたのです。

そしてこちらはヴェルヴェッツの代表曲「Sunday Morning」。

これも具体的に似ているというわけではないのですが、手触りが非常に近いと感じられないでしょうか。

お互いのバンドが聴いたら、「かぶってるわ!」とテンションが上がってしまうと思います。

このようにヴェルヴェッツとジャックスは、ニューヨークと東京で、(おそらくですが)お互いの存在を知らないままに、きわめて共鳴性の高い表現を行っていたのです。

このシンクロニシティに触れるとき、私は音楽ファンとして武者震いを禁じ得ません。

きわめて先鋭的な表現は、往々にして同時多発的に生まれます。

それはアーティストが時代を察知し、作品としてアウトプットするプロセスそのものがシンクロしているからであり、神秘的でありながら、歴史を紐解いていけばいくほど必然性を感じさせます。

ジャックスとヴェルヴェッツは、ほぼ同等の水準で作品を生み出していたわけですが、当時のNYシーンとGS全盛期の東京シーンを比較して考慮した場合、どう考えてもヴェルヴェッツのほうが条件的には有利でしょう。

それを思うと、私はジャックスの才能に恐ろしさすら覚えます。

 

さて、ジャックスが同時代の先鋭的な洋楽と奇跡的なシンクロニシティを発生させていたのとは対照的に、もう一方の雄であるはっぴいえんどは、かなり意図的に洋楽をベンチマークして自分たちの表現を作り上げていきました。

和魂洋才でオリジナリティを築いていくその手法は、明治維新以来日本人が最も高いパフォーマンスを発揮するパターンですから、突然変異的な天才集団であるジャックスよりは、はぴいえんどの方が後進ミュージシャンにとっては参照しやすいかもしれません(はっぴいえんども超がつく天才集団ですが)。

はっぴいえんど編は、また改めて。