不意の「あなたに会えてよかった」はやめろ
さっきね、テレビで大江千里が小泉今日子を傍らに「あなたに会えてよかった」をピアノで弾くってのをやってて、それがもうすげぇよかったんですよ。
なんだろう、本当によかったの、もう。
この番組ね、挿入歌もスミスの曲とか使ってて何気によかったんだが、まさかの大江千里、まさかの「あなたに会えてよかった」ですよ。
いや、ホントなんだろ、よかったよねー。
「あなたに会えてよかった」には思い出がありましてですね、ちょっとそれがフラッシュバックしてきてもう私、おかしな状態なんですよいま。
……1992年、16歳の僕は有り体に言って思春期のまっただ中にあって、今思えば凡百としか言いようがないガキだったんだけど、自分は特別で、この田舎には唾を吐きかけるべきものしか存在しないと思っていた。
高校2年になっていたそのころ、僕はザ・スミスにどっぷりとはまるというお定まりのこじれをやらかしていた。
僕はモリッシーとジョニー・マーのポートレートを部屋に貼ってモリッシーの詞を写経のようにノートに書き写すという、映画「ウォールフラワー」のチャーリーみたいな高校生だったわけだ。
でも「ウォールフラワー」と決定的に違うのは、僕にはサムがいなかったということで、帰宅部のさえない野郎どもと一緒に、呪詛のようなザ・スミスの曲をわかちあっているだけだった。
そんなある日、文化祭の出し物で僕たちのクラスはカラオケ屋をやることに決まった。
カラオケセットをどっかから借りてきて、歌いたい人に歌わせるということだ。
その手の行事に一切かかわらないことを決めていた僕は、決定的に変人の烙印を押されない程度に遠巻きから眺めているだけだったし、当時人気だったビーイング系のロックや流行歌など頭ごなしに否定していたので、「けっ、馬鹿どもがはしゃいどるわ」くらいに思っていたのだろう。
文化祭の前日になって、機材も持ち込まれてセットが組まれ、リハーサルが行われたのだと思う。
僕は教室のはじっこで無気力オーラを出して傍観しているだけだったと思うけど、Nさんがマイクを握ってステージに立つと、自然とそちらを向いていたような気がする。
Nさんは今でいうリア充グループに属していて、明るくてかわいく勉強もできて、もっと美人はいたけど、男女両方から抜群に人気のある子だった。
モリッシー信者でこじれまくっていた僕には縁遠い存在だったし、Nさん含め、女子はみんな体育会系の連中にしか興味はないと思っていたので、僕は遠巻きに眺めながら「けっ、青春しとるのお!」と内心悪態をついていたのだろう。
そんなNさんが、小泉今日子の「あなたに会えてよかった」を歌い始めた瞬間、僕は不覚にも釘づけになってしまった。
か、かわいい。そしてまぶしい。
ステージの上の彼女がものすごく大人びて見えたのに対し、日陰者でひねくれた自分が急にガキのように思え、彼女はクラスメイトではあっても僕には絶対に手の届かない存在のように思えた。
その後も僕はどっぷりとスミスおよびスミス的音楽にはまっていき、ますます思春期をこじらせていった一方、Nさんはずっと人気者で人の輪の中心にいるような存在だった。
僕にとってNさんは、自分の持っていないものをすべて持ち合わせているように思えた。
3年生になってもNさんと僕は同じクラスになったけど、僕はもう完全に誰とも口を利かなくなり、窓際の席でいつも、一人で本を読んだり中庭をぼーっと眺めていた。
そんなクソ変人の僕に唯一話しかけてくれたのがNさんで、僕のしていた腕時計(当時流行していたスウオッチ!)に「時計見せてー」と言ってくれたりした。
緊張しまくりの僕は「あー、いやー」とかわけのわからない相槌を打つので精一杯だったけど、内心は死ぬほどうれしかった。
今でも忘れられないのが、夏休みを直前に控えたある日、授業の合間の休憩時間にNさんが僕のところにやってきて、「佐藤くんは進路どうするん?」と尋ねてくれたことだ。
そのころ、退屈な田舎から一刻も早く脱出したいという思いと、ただひたすら受験から逃避したいという思いを同時に抱えていた僕は、「あー、いやー、東京の大学受けようかと思っとるけど、釣りがしたいけえこっちに残るのもえーかなー、とか」と、わけのわからないことを答えた。
せっかくNさんが話しかけてくれたのに、いつでも僕の舌はいつも空回りして、言わなくていいことばかりがほら溢れ出す!
Nさんは僕の回答に少しほほえんで、「東京に行ったら、釣りも釣り堀ですることになるなあ」と言った。
僕が「そうじゃなあ」と答えると、そこでチャイムが鳴って休憩が終わった。
その後Nさんは関西方面に進学し、僕はすべての受験に失敗して浪人生活を送ることになった。
以来、地元とは縁遠くなってしまった僕は、Nさんはもちろん、高校時代の同窓生とはほとんど会ったことがない。
今でも、「あなたに会えてよかった」を聴くとNさんのことを思い出す。
僕はひょっとして、彼女のことが好きだったのだろうか?
いやいや、あの頃の僕はそんなことの入り口にすら遠くたどりつかない、どうしようもなくひねくれた存在で、ただただNさんのことがまぶしかっただけなんだと思う。
Nさんはみんなに優しい人だったから、僕に話しかけてくれたのに特別な意味などなかっただろうけど、僕の方は四十の声を聞くようになった今でもありありとその場面を覚えているのだから、まったくセンチメンタルにもほどがある。
……ていうかさぁ、ふいにあの曲がテレビから流れてくるもんだから、しかもいい感じでキョンキョンと大江千里が再会してるし、こっちまで変な感じになってしまったじゃないか。
あーあ、なんだこれ。