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布団あります まくらことば活動日記

歌ものロック/ポップスバンド、まくらことばのブログです。

山田太一の効能

どうも。

先月の終わりに引っ越しまして。

今は新しい家での暮らしもペースがつかめてきて、ようやっと日常を取り戻してきた感じで、落ち着いて本を読む時間も増えてきました。

私は基本的に何冊かを併読する習慣なので、寝る前、ベッドの脇に置いておく睡眠導入的な1冊というのがあるんですが、それはまぁ重すぎる本でない方が望ましい。

そのベッドサイドブックとして最近は山田太一の小説を読んでいるのですが、「あれ、若い頃読んでたのと全然印象が違うぞ」と。

山田太一の小説って、だいたい中年サラリーマンが主人公で、日常の中にふと現れた女がらみの非日常マターから物語が起動するパターンが王道なんですが、記述の大半が「女の人におれはどう思われているんだろう」というおっさんの逡巡で、もうほとんどどぶろっくのネタみたいなんですよね。

そんで最初は「こんなに妄想するかね」ってニヤニヤしながら読んでたんですが、次第に他人事どころか「うっ」って身につまされるようになってきて、最終的には「ああ、男ってのはいくつになっても哀れな性を背負った生き物だなぁ」そして「おれもそうだわ」と哀しくなってきたんです。

 

最近よく思うことに、「果たして自分はマトモなんだろうか」という疑問があって、これは思春期の「おれは狂ってしまったのか」的な耽美なアート指向の妄想とは全く異なる、「おれってすげぇイタい奴なのかな」「バグってんのかな」という不安です。

芸術的な「気狂い」ではなく、社会的な「頭のオカシイ奴」ね。

例えば折に触れて言っておりますが、小田急線が暑いとか言ってるのなんて自分だけじゃないか、あまつさえ「お客様センター」に「ご意見」を何度も送るなんて完全なキティガイなんじゃなかろうかという不安。

それから日々の対人作法が常識を逸脱しているんじゃないかという不安は日増しに高まってきていて、自分のスタンダードは今や役立たずになっているのではないかと真剣に考えることも。

 今の自分の年齢は、人口分布には偏りがあるから実際はそうじゃないけど、ちょうど上の世代も下の世代も世の中に同じくらいいるポジションなんです。

上の世代の感覚とか常識は、この人たちとは付き合いが長いので対応スキルのストックもそれなりにあるのですが、下の世代、とくにデジタルネイティブの人たちは、自分とは全く違う度量衡をもっているような気がしてならず、自分の常識とかは彼らからすればまったく頭のおかしい部類に属するんじゃないか、という不安。

この手の話をすると「いや歳なんて関係ないよ、結局その人がどうかだから」というツッコミが入って、それは正論だからぐうの音も出ないんだけど、そうはいってもやっぱりねぇ、人間は自分を形成した背景から自由になれるとはとても思えない。

ザ・スミスはもう聴かないけど、モリッシーに足向けて寝れないもんなー。

 

ちなみに今までの私の「頭のオカシイ人研究」の成果を報告しますと、そういった人に共通している思考様式というのがあって、それは「●●のせいで私の人生はうまくいかない」というものです。

●●に当てはまるのはなんでもよくて、闇の大王とかロスチャイルドとか親とか教師とか上司とかNHKとか小田急とか電磁波とか、とにかくいろんなもんが代入可能です。

この思考に陥る人って、はじめは「●●のせいで世の中が良くならない」くらいの感じで、それだったらまぁ面倒くせえなこの人くらいなんだけど、次第にアイデンティティをそこに預けるようになり、「世の中」とか「社会」がいつの間にか「私の人生」にすり替わっているんですよね。

これは長年のエビデンス収集にもとづく結論なので、結構当たってるような気がする。

 

そんでもまぁ、自分が正常かどうかを判断するのを自分が行うというのは原理的に不可能、第三者に判定してもらうしかないわけで、そういう意味でも友達って大切だよなぁと思う今日この頃です。

もし「最近サトー頭おかしくない?」とお思いの方がいらっしゃいましたら、速やかにご忠告いただきたいですね、まじで。

 

……以上のような逡巡を、もっと具体的事象に即して固有名詞レベルで延々おっさんが繰り返しているのが山田太一の小説なので、自分に自信がもてなくなってきた年頃の男性には特におすすめできるかと思います。

傍若無人なおっさんになるのをちょっとは予防してくれるかも。