犬と猫
畑の脇の道を抜けてひとつめの丘を越えると川があり、橋を渡って左手には武蔵野台地の崖線がそそり立つ森のようになっている小道の途中に、犬と猫が仲良く暮らしている家があります。
軒先の犬小屋には布団が敷いてあって年老いた大きな犬がいつも寝そべっているのですが、その傍らに、これまた若くはないであろう猫が寄り添って毛づくろいをしたり昼寝をしているのです。
確かに仲がいいとは思うのですが、特にお互いを意識するような感じでもなく、ただ一緒に過ごしているという感じで。
犬は繋がれているので基本そこにしかいないのですが、自由な猫はたまに姿を見せないこともあって、そういう日は「あ、どこかに遊びに行ってるのか」と、残された犬の気持ちはいかばかりかなどと思いもしたのですが、それでも猫は圧倒的に犬の隣が好きなようで、2匹をペアで見かける確率は多分8割くらいだと思います。
私がこのコースを週に1、2回走り始めてもう3年以上が経つと思いますが、2匹に会えるのが自分の中で小さな楽しみになっているようで、ここを通り過ぎた直後に一気に崖線の急坂を駆け登るための力をもらっているような気がしています。
土曜日は少し気が変わって、「大きな川を渡る橋」を越えて川崎市多摩区や稲城市あたりに走りに行ったので知りようもなかったのですが、昨日おなじみのコースを走り、2匹のいる家の前に差し掛かると、いつもは犬小屋脇か犬小屋の上にいるはずの猫が玄関のところで毛づくろいをしていました。
と言っても、なんだか手持無沙汰にしているような印象だったので、そのまま歩を進めて犬小屋の前に差し掛かると、主のいない犬小屋に、花束と2匹が寄り添う写真が飾られていました。
先週通りかかったときはどうだったろう、と思い出そうとしたのですが、2匹が一緒にいるのがあまりにも自然な風景の一部になっていたため、思い出せることは何もありませんでした。
でも事態が急変したのは、たぶんこの1週間のうちのことだったと思います。
犬のほうは特に年老いていたように見えたので、遠からずこういう日が来るだろうとは思っていたし、特に暑さが厳しい夏の日は、「今日も大丈夫だろうか」と安否を確認する気持ちで2匹の前を通り過ぎていました。
それでも実際、こうやって2匹の片割れがいなくなると、悲しいとか切ないといった言葉だけでは言い表せない気分になったし、何より猫はこの先、どういう気持ちで自分の「猫生」を生きるのか、ちょっと私などには想像もつきません。
そしておそらく、近所の人にとっても2匹はアイドル的存在だったでしょうから、飼い主さんはもちろん、多くの人の心の中に喪失感が刻まれたのではないかと思います。
たいていの動物は、人間より長く生きることができません。
それは人間にとっては、死を見送らなければならないということになるのですが、その辛さや苦しみを知っている(つもり)がゆえに、猫のことを考えるとなんとも言えない気持ちになります。
その悲しみは、長生きの特権と引き換えに人間が担うべきものなのに……。
だけどその猫は、他の多くの猫が体験しないであろう犬との時間を共有できたわけだし、多くの人に2匹で愛されたことは、かけがえのないことだったように思います。
これからの「猫生」、楽しく穏やかに過ごしてほしいと思います。
そういえばその家には、小学校高学年~中学生くらいの男の子がいました。
家の前でサッカーボールを蹴っているのを何回か見たことがあるし、2匹と一緒にいるのを見たこともある。
彼にとっても辛い出来事だったと思いますが、彼もまた得難い経験をしたでしょう。
優しくてかっこいい男になるんだろうなぁ、と彼にまた会える日を楽しみにしつつ、私はこれからもずっと、同じ道を走り続けようと思います。