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布団あります まくらことば活動日記

歌ものロック/ポップスバンド、まくらことばのブログです。

おれたちのフェンダージャパン

佐藤「いやー、今日も変な夢で夜中目覚めちゃってさ。ま、花粉症の鼻づまりでどうにもならんという事情もあるんだが」

サトー「どんなの? エロ、グロ、それともナンセンス?」

佐「全部だな。なんかTVの収録みたいなのしてるんだけど、もう目茶苦茶でさ。美川憲一を素っ裸にして『八つ墓村』的にひっくり返してみたりさ、そんでおれ死ぬほどゲラゲラ笑って目覚めたんだよね。あとなんかエレベーターに乗ってるんだけどシャレにならんくらい揺れるとかさ、狭い階段の上に瓶がいっぱい置いてあってタレ的な何かで汚れてるんだけど、それがべったり服についちゃう的な不愉快なのも」

サ「なんだそれ。馬鹿げた夢の話はさておき、これから話すことは夢じゃないんだ、現実なんだよ! なんとフェンダージャパンがいったん終わっちゃうみたいなんだ!」

佐「見た見た! 神田商会がフェンダージャパンの取り扱いを今月いっぱいでやめるんでしょ。そんでその後どうなるかってのが、少なくとも僕の情報網には全然かかってこない」

サ「情報網て(失笑)。……本家フェンダー、まぁ便宜上フェンダーUSAと言っておこうか、フェンダーUSAも今月いっぱいで山野楽器が代理店から降りるんだよね。でもこれは理由は明快で、フェンダーがついに日本法人を立ち上げるんだ、つまり代理店じゃなくてメーカーが販売まで直接やるという」

佐「ちょっとまって。じゃあフェンダージャパンって何なの?って疑問がわいてくるよね。フェンダージャパンはフェンダーUSAとは関係なかったの?」

サ「ナイス質問。えー、もともとフェンダージャパンはですね、本家フェンダーUSAが日本に進出したというのとはちょっと違うわけですな。60年代のエレキギター黎明期、日本製ギターの品質なんて本場USAに比べればまだまだだったんだけど、70年代以降、本場を凌駕する品質のギターが日本から出てくるようになった。まぁこれは、ギブソンフェンダーともに、70年代後半は資本がぐらついたりマーケティングを誤ったりで、低迷期に入ったって事情もあるんだが。そんで当時の日本はギブソンフェンダーのコピー大国で、本家を上回る品質のコピーまで出てくるようになったから、さすがに本家も看過できなくなったんだね、訴訟を起こして『真似すんじゃねぇ』と打って出たわけだ」

佐「そん時一番本家を脅かしたのがトーカイ。はっきり言って当時は、トーカイのほうが高品質なストラトとかテレキャスを作ってた。トーカイが今も本家とは微妙に異なるヘッドデザインを用いているのはそのせいなんだ。そんで訴訟してもモグラ叩きだから、だったら日本の高品質なファクトリーで日本製フェンダーを作らせたほうがいいって考えたんだね、フェンダーブランドを使ってもいいけどライセンス使用料を払えって方向に行ったんだ」

サ「これ、戦後期には自動車でよくあったビジネスモデルで、ノックダウン生産とか言われてた。三菱がヘンリーJを、いすゞがヒルマンミンクスを、日野がルノーを造ったりしてたね」

佐「そんで1982年に、ディストリビューションを神田商会に、ファクトリーを富士弦楽器(現・フジゲン)として、ライセンス生産の形でフェンダージャパンがスタートしたんだ。だから、日本法人を立ち上げてアメリカやメキシコ製のフェンダーを売るっていう今後のスタイルとは全く違うわけだね」

サ「1982年にフェンダージャパンが始まったってことは、当時のギタリストにとって超画期的なことだった。だって4~5万でフェンダーの名を冠する、つまり本物のストラトテレキャスが手に入るようになったんだからね。多分当時もUSAは25~30万はしただろうから、ほとんど革命レベルの出来事だよな」

佐「フェンダージャパンが始まったことがいかに嬉しかったかってことは、マーシーとか加藤ひさしとか、あの辺の世代の人はみんな言ってるよね。すごいことだよ、垂涎の的で柳ジョージ的にショーケースを眺めてるしかなかったギターが、ちょっとバイトすれば買える値段になったんだもんね」

サ「ちなみに初期シリアルのついたジャパンのギターは、今中古市場でかなり値段が高騰してる。当時は明らかに本家より品質が高かったからね」

佐「その後本家も、アメリカンスタンダードシリーズとかアメリカンヴィンテージシリーズを開始して復活傾向を見せる。そしてついにカスタムショップを開設して、かつての栄光を完全に取り戻したのが今のフェンダーUSAだよね」

サ「確かにUSAは素晴らしいんだけどさ、ジャパンもやっぱり良くて。なにより日本のギタリスト・ベーシストで、フェンダージャパンのお世話にならなかった人っていないんじゃないかってくらい、その存在はデカいよね」

佐「ジャパンとUSAとどっちがいいかって議論は尽きることがなくて、第一線のミュージシャンでもジャパンのギター使ってる人いるよね。あとジャガーとかムスタングみたいな亜流ラインの復刻では完全に本家の先を行ってて、その辺のギターが好きだったカート・コベインはジャパンの愛用者だった。他にもマシュー・スウィートが来日の際にジャパンのストラト買いあさっていったとかさ、そういうエピソードもいろいろあるよね」

サ「僕が最初に買ったのも、フェンダージャパンのジャズベース。あ、最初はポールにあこがれてベースから始めたんだよね。その後ギター始めてからもジャパンは何本も買ったなぁ、ストラト、テレ、シンライン、ジャガー……。安くて4万、高くても7、8万だからね、日本の初心者に本物を与えたっていうジャパンの功績は、とてつもなく大きなものがある」

佐「なぁ、いろんなギタリストに寄稿してもらって『俺とフェンダージャパン』って本を作ろうかな。とにかくジャパンがなければ、われわれはいいギターのなんたるかを知らないままだったよね」

サ「フェンダーと違って、ギブソンはよそに作らせないじゃん、すべてメイドインUSA。だから憧れっていうのもあるんだけど、僕だってギブソン手に入れたのってここ最近の話だからね、高校生とか大学生には無理に近いよな。その点フェンダーは、最初の一本から本物が手に入るからね、これがどんなに幸せなことか……」

佐「とにかく今は先行きがわからないけど、必ずどこかの代理店なりメーカーなりが、フェンダージャパンブランドを引き継いでくれるよね」

サ「そうであることを祈りたいね。……ここでジャパンが終わるってことはないだろうけど、なんか記念に一本買っておこうかな。バインディングの入ったカスタム・テレキャスターとか」

佐「あの62年仕様の? あれかっこいいよね……って話の流れがヘンだぞ!」