布団あります まくらことば活動日記

歌ものロック/ポップスバンド、まくらことばのブログです。

カローラⅡの話

佐藤「カローラというクルマは、日本人にとって長らくスタンダードだった。クルマというものは戦後一貫してその人のステータスシンボルであったが、そのスタンダード。加えて、会社および社会におけるポジションと乗るべきクルマのヒエラルキーが見事に一致していたんだ」

サトー「……何の話?」

佐「つまり主任とか係長がカローラ。課長になったらコロナ。めでたく部長に昇進したらマークⅡ。役員になったら"いつかはクラウン"というわけだ。どう、このきわめて護送船団的な日本社会の構図!」

サ「はぁ……」

佐「そんでカローラの下、下というかもうちょいカジュアルなラインだね、ここを用意することで入社間もないペーペーにもクルマを買わせたい。当時のラインナップでもトヨタだったらスターレットとかのボトムエンドはあったんだけど、日本人にとってきわめてブランド・ロイヤルティの高いカローラという名称を使ってそのポジションのクルマを作った、それが『カローラⅡ』なんだ」

サ「なるほど」

佐「つまりだ。受験戦争を勝ち抜き、晴れて社会人となったあかつきに、最初の一台としてカローラⅡを買う。それから出世に歩を合わせてトヨタのラインナップを一つずつ駆け上がっていく。カローラⅡを買うということは、一生におよぶトヨタ人生のスタートになるわけだね。忠実な顧客人生の始まりだ!」

サ「なんだか怖いね」

佐「しかしこの物語は右肩上がりという時代を背景に描かれたもので、バブル崩壊後はただの神話と化してしまった、虚構だよ。あらゆる価値は流動化しフラットになり、あるポジションを手に入れることが長期にわたる安泰を約束するものではなくなってしまった。イノベーションはハードではなくソフトにおいてもたらされ、その寿命も短い。これは序列や秩序を至上価値としない自由な社会ではあるが、苛烈な競争社会でもある」

サ「……ますます何の話?」

佐「つまりカローラⅡというのは、戦後日本人が作り上げた価値体系が必要とした工業製品であり、同時にある種の象徴だった。そのカローラⅡをだ、バブル崩壊後の時代に新しい価値を提示した2人の象徴的な表現者佐藤雅彦小沢健二が手を組んで宣伝したという逆説! 君はこの歴史的なパラドックスをどう思うかね?」

サ「あのー、どうしちゃったんですか? ……いや言ってることはわかるよ、きわめて戦後的なカローラⅡと、きわめてポスト戦後的な2人との組み合わせが皮肉ってことでしょ?」

佐「(サトーの話を無視して)しかしだ! 時代を先行した2人の仕事は、前時代の遺物ともいえるカローラⅡを想定外の方向に輝かせてしまった。つまり『大いなるトヨタ人生の序章』としてでなく、『カフェの前に停めてあるようなお洒落アイテム』としてこの工業製品を位置付けてしまったんだ。お洒落アイテムにも確かに権威は存在するが、それは極めてミクロな差異の次元でなされる論争であり、護送船団的価値観のそれとは比べものにならない軽やかさではないだろうか。ここにおいて図らずも、カローラⅡは戦後的価値観の頸城から解き放たれたのだ!」

サ「……」

佐「しかしここにもまた陥穽があった! カローラⅡはお洒落アイテムとして流通するにはあまりにもデザインが酷すぎた。このクルマでたとえば代官山のリストランテASOに乗り付けてみよ、店員の君に対するあしらいは、かつてPARISのゴルフシャツと横ポケットのスラックスという準構成員的スタイルでマハラジャに乗り込んだウチの親父になされたものと同等となるだろう。ああ、三河自動車工業謹製、イモグルマの悲哀!」

サ「つまり日本人に初代フィアットパンダとか、オリジナルMINIとか、ルノーキャトルみたいなクルマは作れないってことなんだね」

佐「その通り! このようつべを見よ、音楽もアートワークもまったく古さを感じさせないが、主役のカローラⅡだけが泣きたくなるくらいに時代を感じさせる骨董だ。先鋭と保守――私はこの奇妙な組み合わせにこそ、この国の悲哀を感じ同時に郷愁をも覚える。ああ、これぞ日本的、いかにも日本的な現象ではないか!」

サ「……以上、本日の日めくりから感じたことの話でした」


トヨタ「カローラII」 - YouTube