時間感覚とポップミュージック
サトー「なんかさぁ、最近時間感覚がヘンなんだよ」
佐藤「だからこんなにここをほっぽらかしていたわけ?」
サ「や、その辺もね、なんかたとえば1か月前のことが何年も前のことのように思えたり、いっぽうでそれよりももっと前のことが昨日のように感じられたり。一週間単位だともっとひどくて、まったく時系列で物事が並んでいないのよ。だからレトリックじゃなくてね、感覚がヘンなもんで間隔もヘンという」
佐「なんだそれ、メンヘラ的な何か? やめてよいい歳して!」
サ「ああ、おれも君みたいに単純な時間法則の下で人生を送ってみたいよ。時間の流れが一定かつ不可逆的であるということを単純に信じられるようなね」
佐「なんかムカつくなぁ……。ま、でも言わんとしていることわわかるよ。それなりに歳をとってきたらさ、年々時間の流れが速く感じられるもんね。20代に比べて30代の時間の速いことよ!」
サ「……ホント君、シンプルでええなぁ。ま、だからといって困ったとかそういった話でもなくてね、そういう日々に今いる、ってだけの話で」
佐「あー面倒くさ。とにかく時間ってことについて今までにない感覚のうちにあると。だからか、最近君がこの曲ばっかり聴いてんのは」
サ「や、これほんとすごくいい。最近は“世界観”っていう言葉があまりに安くておいそれと使いたくはないんだけど、ホント世界観のある曲だよね。完全にオリジナルであるという前提に立ってだけどさ、音楽的傾向とかじゃなくてね、なんかフィッシュマンズ的なものを感じる」
佐「『"クロノスタシス"って知ってる? 時計の針が止まって見える現象のことだよ』ってさ、時間感覚の独自さを歌ってるよね。フィッシュマンズだとたとえば『WALKING IN THE RHYTHM』みたいな」
サ「どっちもね、なんか時計の刻む公式なものとは別の、その人特有の時間感覚だよね。そんな感覚で下北一番街を歩いてると」
佐「ポップミュージックの特権はね、いろんな時間を自由に行き来できることじゃないかと思うんだ。たとえば小説だったり映画だったりってのはさ、時間を支配するってのにものすごく神経を使う必要があるというか、やっぱりプロットなしに作品を最後まで持たせるのは難しい。でも音楽ってその辺ホント自由だよね」
サ「そもそもがさ、3分とか4分で人生を語ろうって土台無理な設定なわけでしょ。だったら最初から時間に関してはルールなしでやらざるを得ない。そういう意味では君の好きな短歌も同じかもね」
佐「ぎゅっとね、圧縮するわけですよいろんなものを。あるいは逆に一瞬をすんごく精密に展開してみたりね。そういう意味ではやっぱりこの人・この曲を挙げざるを得ないのよ」
サ「これは昨今のタモリフィーバーで改めて注目されたけれど、やっぱり視点というか時間感覚が自由だしかつそこに必然性を感じるよね。一瞬と永遠、現在と過去そして未来、若い自分と老いた自分、いろんなものが交差しながら織り上げられたタペストリー的世界とでも言おうか」
佐「やっぱりこの人はすごいなと。一つの事象についていろんな視点とか時間軸でとらえてるんだね。ほら、小学生のころ、展開図を見せられてこれがどんな図形になるかっていう算数の問題あったじゃん? あれめちゃくちゃ苦手だったんだけどさ、そういうのが瞬時にわかっちゃうんだろうね」
サ「瞬時かどうかはわかんないけど、とにかく精緻に世界をスケッチするところから取り掛かって、そんで独自の見方を添えていくような、まぁ王道だけど手間がかかる作業をきちんとやっていたと思うんだオザケンは。一瞬を切り取っていてもつねに過去と未来へのまなざしがあるよね」
佐「そうそう、オザケンっていえばさ、さっき密林から『超ライフ』DVD発送のお知らせメールが来てたよ」
サ「まじか! 最近なんか何度目かのオザケンブームなんだよね。すごい楽しみだよ」
佐「つくづく、貴重な人だよね」