読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

布団あります まくらことば活動日記

歌ものロック/ポップスバンド、まくらことばのブログです。

続・街の話

おはようございます、サトー@まくらことばです。

今朝は最近かけてなかったオーバル型(楕円形)の眼鏡にしてみました。

 

さて、昨日自分がした話に妙に触発されて、また街のこと。

私は20代後半で免許を取りその後車に乗るようになるまで、時間があれば東京中を散歩しまくっていました。

電車で適当な駅まで行ってそこで降り立ち、気の向くままに歩いてまた駅が出てきたら電車に乗る、そんな感じで山手線の内側はほとんどすべて、外側についてもこれといった町は大半を歩きつくしたように思います。

ノルウェイの森」では主人公と直子が電車を降りてかなりの長距離(四ツ谷~駒込)を歩くシーンがありますが、私はそれを読んだとき「なかなかやるけどおれも負けてないぜ」と思ったものです。

実際私も、渋谷~池袋、池袋~下北沢といった長距離散歩を楽しんでいたことがあります。

いや、楽しんでいたというのは嘘で、度を超した長距離歩行は苦痛でしかなく、しかも当時は非常に貧乏で電車代くらいしか持っていなかったため喫茶店に入ることもできず、ひたすら歩き続けるような……。

今思えばなんであんなことをしていたのか自分でもよくわかりませんが、とにかくノルウェイの森」を読んだとき、まず私の心をつかんだのはあの散歩のシーンだったのです。

 

私は上京してすぐに、東京の街が大好きになりました。

見事に退屈な田舎だけどそこそこ拓けていて風情があるほどではない、ありふれた中規模地方都市に育った私にとって、駅ごとに表情を変える東京の街を探検することは楽しくて仕方がなく、意味もなく、行くあてもなく歩き続けているだけで、ここはなんて楽しいところなんだろうと思っていました。

私は進学を上京の契機としていたものの、大学の授業に真面目に出たのは1年生の前期くらいのもので、後期からはほとんど散歩が日課になっていました。

朝、一応家を出るには出るのですが、学校に着いて教室を覗いた途端にやる気が失せ、そのまま散歩に向かう毎日。

最初は大学の周辺を歩く程度だったのが次第に行動範囲を広げ、最終的には京急に乗って横須賀あたりまで行ってみたり、常磐線に乗って千葉方面に行ってみたり、文字通り「ぶらり途中下車の旅」のような日々を送っていたのです。

一年で大学をドロップアウトすると、結局25歳くらいまでバイトと散歩の日々を過ごしていたように思います。

 

そんな散歩の毎日で、私には忘れられない風景があります。

あれはたしか、いつものように授業をさぼって神田界隈を歩いていたときのこと。

今でも神田には乗物とか鍛冶とか紺屋とか江戸風の町名が残っていますが、そんな街の一角を歩いていたのだと思います。

神保町の古書店街は昔からよくうろついていたのですが、そこを少し離れて専修大学のあたりか東京電機大学のあたりか(靖国通りを挟んで真逆ですね)記憶は定かでないのですが、私はいかにもな下町風情のあふれる一角に迷い込みました。

そこの一帯にはオフィスビルもなければ車がひっきりなしに通る幹線道路もなく、昔ながらの下目板張りの木造家屋としもた屋風の商店が軒を連ねていました。

電柱が立ち並ぶ道路では、地元の子供らが遊びまわっていました。

そこには自分が今まで見たこともない、オリンピック以前の東京の姿がそのまま残っているようでした。

そのとき去来した気持ちとは、本当に映画のワンシーンにでも迷い込んでしまったかのような、という陳腐な表現しか浮かばないのです。

その一角を進むごとに、私は静かな感動に包まれるようになり、息をのむような興奮が湧き上がってきました。

ここには本当に、自分がイメージの中に抱く東京の下町の姿が現存している――私はそれまでに、東京という街の巨大さや最先端ぶりに驚くことは多かったのですが、都心のど真ん中にこんな時間が止まったような空間が現存するのもまた東京なのだと知り、この都市の奥深さと豊かさに圧倒されたのです。

自分はもしかして、現実から逃避して散歩にかまけているうちにタイムスリップしてしまったのではないか、今自分が見ているのは幻なのではないか、居ながらにしてそのような気持ちになったのは生まれて初めての経験でした。

 

私は散歩から帰ると、必ずといっていいほど地図を見て今日自分が歩いたエリアを確認する習慣があるのですが、その日に限ってなぜか、地図での確認作業を怠ってしまいました。

私はその日遭遇した街並みが一体どこだったのかわからないままに、あの情景だけを鮮烈に記憶してしまったのです。

それから何年も、もう一度その街に行ってみたいと歩き回ったのですが、結局私は今も、あの街並みを再訪することができないままでいます。

いや、ひょっとしたらキーワードを片っ端から検索してみたり、千代田区の図書館あたりに行って関連資料を漁れば、あれがどこの街並みだったのかわかるかもしれません。

しかし私は、なぜかそうする気になれないまま20年近い時間を過ごしてしまいました。

もしかしたら再開発されてもうあの街はなくなってしまったかもしれない、いや、そもそもが幻を見ただけで現実には存在しない街だったのかもしれない――。

謎は謎のまま記憶の彼方で霞がかって、それでも鮮烈な印象だけは残したまま、あの街並みにはずっと存在していてもらいたい。

そのような気持ちをセンチメンタルというのであれば、私は「ああ、そうだね」と開き直ってみせるでしょう。

 

松本隆は、かつて東京に存在しすでに喪われた風景に「風街」と名付け、風街のサウンドトラックを作るかのように、その創作活動を続けてきました。

私にとっての「風街」は、あの無為の日々にふと迷い込んだ時間の止まったような街並みであり、私が愛する東京とは、いくらかの部分があの街のことなのかもしれません。

そのような風景を内面化している限り、自分にも「シティポップス」と呼ばれる音楽が作れるのではないか――滑稽な話かもしれませんが、そんなことを結構真剣に考えてたりします。