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布団あります まくらことば活動日記

歌ものロック/ポップスバンド、まくらことばのブログです。

いない人の話

どうも、サトー@まくらことばです。

最近はこのブログ、中断しながらいろんなところでちょっとずつ書いてアップ、というパターンになってきたのですが、そうすると先の記事のように、夜にアップしたのに書き出しが「おはようございます」と頓珍漢なことになってしまいます。

そこで時間を選ばない挨拶を考えてみたのですが、「どうも」ってなんか独特の体温の低さというか、礼儀とかどうでもいいけど一応カドは立てたくない的な消極的社会性があって、実際言うとなるとかなりキャラを選ぶ(許される人と「無礼者!」ってなっちゃう人に分かれる)挨拶だなぁと思います。

 

さて、「その場にいない人の話をする」というのは、古今東西、行儀の悪い行為であると戒められているわけですが、わがバンドのADはいま、海の向こうに買い付け旅行に行っているんですよね……。

ここはひとつ性格の悪い人間の作法に則り、名実ともに今この場所にいないADのことについて、あることないこと書き立ててやろうかと、ぐふふふ……。

 

えー、ADと私はずいぶん古くからの知り合いであることは以前も書きましたが、年齢でいえば私が1コ上、彼が小6の時私はすでに学ランを来た中坊だったことになります。

今でこそ1つくらいの年の差はあってないようなもので実際どうでもいいのですが、若いころはまだ学年という時間感覚が染みついているんでしょうね、1年といえどその差って結構大きくて、「そうか、彼は1学年下なんだよな」ということを常に意識した付き合いだったように思います。

というのも彼は、「おれより年下のくせにずいぶん大人な考え方をしてやがる」と若き日のサトーに感じさせる男だったからで、田舎育ちの私が人生で初めて出会ったシティボーイがADだったのかもしれません。*1

とにかく彼は昔から、男にありがちな好戦的なところがなく、極論に振れたり、若者っぽく無茶を指向するところがなかったんですね。

とくに「好戦的でない」というのがすごく新鮮というか今までに付き合ったことのないタイプだなぁと感じたところで、いかにも田舎の「どっちが強いか」、長じて「どっちが賢いか」みたいな単純ヒエラルキーの中で生きてきた私にとって、彼の対人感覚は本当に新鮮で大人びたものに感じられました。

加えて、当時の広島弁の抜けきらない私にとって、彼がナチュラルに操る標準語の印象がよりスマートさを掻き立てていたのかもしれません。

 

しかし、今もそうなのですが、私は彼に対して「穏やか」という印象はあまり抱きませんでした。

もちろん彼は十分すぎるほどに礼節をわきまえた男ですし、声を荒げるようなことも一切ないのですが、単におとなしいだけの人間ではないだろう、何か名状しがたい衝動みたいなものを内側に宿していて、それをうまく飼いならしながら生きているんじゃないか、そんな印象を持ちました。

まぁ若い人間なら誰しも何がしかの熱に駆り立てられているものですが、それがいかにもわかりやすいかたちで表出しているのではなく、いくつもの加工工程を経てアウトプットされているのがADで、彼は若くして自分をコントロールする術を身につけているように思えたのです。

そんな彼の若き日の「内なる衝動」は、見事にサブカル的なことどもに発散されていたように思います。

当時は私も同じ学生の身分でしたが、私が基本的に学校とバイトしか予定がないのに比べ*2、彼のスケジュールはいつも売れっ子芸能人並みのタイトさを誇っており、彼と会うには、それなりの手続きを踏まねばなりませんでした。

具体的に彼がどのような時間の使い方をしていたのかはわからないのですが、若き日のADがいろんなところに顔を出し、またその活動資金を得るために(時間的に)ハードなバイトに精を出していたことを、私はどこか、眩しいものでも見るような思いで眺めていたものです。

時あたかもサブカル全盛時代90年代の東京を舞台に、間違いなく最も活動的な部類に属し、時代の空気を体現していたのが、当時のADではなかったかと思います。

 

2年前の再会以降の付き合いの中でも、相変わらず彼は、忙しい時間の中に生きているなぁと感じます。

ただ、今のADには「本当に大事なもの」「そこそこ大事なもの」「そうでもないもの」がはっきり見えていて、その中で彼の生活は組み立てられているのではないか、そんな風に思えます。

いや、それを言えば彼は若い頃から私などより数倍、分別のある男でしたが、今はさらに底が入ったというか、新しいものを積極的に取り入れているけれども迷いがないというか、よりコントロールの精度が上がっている。

以前はストライクゾーンを4分割にして投げ分けていたのが、今はストラックアウトよろしく9分割で、かつ球種も増えている、それでいて試合を通じての球数は少なくなっている、とでも言いましょうか。

私がそれなりに社会人経験を積んで実感したことのひとつに、「考えるべきことを考える」というのがあって、つまり「今考える必要のないことは考えない」という作法が、物事を具体的に達成するためにいかに大事かということです。

学生時代は、とにかくどんなことでも考えたり努力すればとりあえず認められましたが、結果責任と協調性の求められる社会人はそうはいかない。

ここで求められるのは、足し算よりもむしろ引き算の発想なのですが、引き算がきちんとできるようになるには、時間がたっぷりあって責任がそれほど問われなくても済む若いころ、いやというほど足し算を繰り返す必要があるのです。

そう考えると、ADが今立っている場所と行っている仕事というのは、若い頃からのゆるぎない積み重ねの上にあるのだなぁ、ということを実感します。

その辺ってやっぱり、今も昔と同様、「すげぇなぁ」と感じるものです。

 

これまでの話とも通じることなのですが、もうひとつ、私が彼を「すげぇなぁ」と感じるところに、「自分の役割が完全にわかっている」というのがあります。

いつだったかこの前ADと話しているとき、彼は「なんだったら自分はベース弾かなくてもいい」みたいなことを言うわけです。

それでも彼は、自分のことを一点の曇りもなくまくらことばのメンバーだと思っているし、その根拠もあるのです。

ま、現実的に言って、私はベーシストとしても彼を高く評価しているので彼がベースを弾かないというのはありえないのですが、この発言に彼の認識の確かさと、ゆるぎない自信を感じます。

ADは自分のことを「パッケージ担当」とよく言いますが、これはデザインなどの具体的作業を担うという意味にとどまらず、サトーが持ってきた素材をいかに人様に耳目を貸してもらえる商品に仕立てるか、それが自分の仕事であり役割であるということなのです。

 

私の知りうる限り、彼は情にほだされて動いたり、意気に感じるあまり多少の不本意や理不尽を見過ごすタイプの人間ではありません。

どちらかといえば――ちょっと露悪的な言い方になりますが――常にメリット・デメリットを比較衡量し、そこに利益があるかどうかを吟味するような、クールで現実的な判断を根拠に行動する人だと思います*3

そんな彼ですから、私がバンド結成を持ちかけたとき、「こいつとだったらなにがしかの旨みがあるかも」という判断が働いて承諾してくれたのだと思うのですが、私にとっては、彼のこのクレバーな判断能力こそが、このバンドをやるうえで非常に重要な要素なのです。

つまりADと私は、目指すべきところは同じでも、そのためにやるべきことやアプローチの方法がまったく異なり、かち合うところがない――古今東西、バンドの不和というのは99%この「仕事がかち合う」ことに集約されるのを思えば、これがバンドという集団を運営していくうえでどれほど貴重で大切なことか、私は日々実感する次第です。

 

私にとってADは最も親密な友達の一人ですが、ことまくらことばという場所においては、非常にビジネスライクな関係ではないかと思っています。

私のそれほど多くなく強力でもないわずかな美点を面白がってくれ、かつ的確なツッコミを入れながら、きちんとしたプロダクトに仕上げるべくその能力を惜しみなく投入してくれる存在とでも言いましょうか。

相方であり、理解者であり、マネージャーであり、時に教師であり、やっぱり総合していえばディレクターですね。

ADをそのような存在たらしめているのは、彼がこれまで積み重ねてきた経験に裏打ちされたスキルであることは間違いないのですが、もっと突き詰めると、彼が若い時から身につけていた「他人との距離感を見誤らない能力」であり、それこそ、私が彼から影響を受け、今も自分自身を吟味してくれる部分なのです。

 

彼の対人スキルの真骨頂である「相手のいいところと付き合う」作法は、時に冷たく、功利主義的なものに映るかもしれません。

しかし、「愛があれば何をしても許される」「いいところも悪いところもすべて受け入れろ」という情念に満ちたフルコンタクトの対人作法こそ、継続的な人間関係を破壊し、何かを成し遂げる上での妨げになることを、私は時間をかけて学んできました。

すべての人間関係に愛情が不可欠なのは言うまでもありませんが、愛は強い感情であるがゆえに取扱い要注意物件であり、その取扱いを誤ると、他者に向けていた愛はいともたやすく自己愛に変質してしまうのです。*4

他者を愛するとき、そこには常に対象に対する公正さと敬意を伴っていなければならない――それが私が年下の友人から学んだ最大のことかもしれません。

 

どんなに仲良くなっても、ADの対人作法は(その公正さゆえに)一貫しています。

なので、「素材屋」たる私の納品物が「加工屋」である彼の基準を満たすことができるかどうか、この緊張感と背筋の伸びる感じは今も継続しています。

私にとってそれは、曲作りの上で最も信頼すべき度量衡であり、まくらことばのポップさを担保する装置だと思っています。

我々の目指すものが「ふつうのポップス」であることを鑑みても、自家中毒物件が決して採用されないまくらことばのシステムは、なかなかによくできているなぁと感心する次第です。

 

……欠席裁判だというのに、結局ADを褒めるばかりになってしまいました。

でもまぁ、普段思っていることを正直に表明したら、結果こうなったということで。

これからも頼りにしておりますので、何とぞよろしくお願いしますね。

そんじゃ、 bon voyage !

*1:これは近年、「自分は都会ではなく郊外だ」と本人から訂正が入りましたので、「サバービアボーイ」とさせていただきます。おれからしてみりゃ、どっちも「都会モン」なんだけどね。

*2:早々に学校の予定もなくなりましたが

*3:なので例のすずめエピソードには意表を突かれたというか、彼の意外な一面を見たような気がしました。

*4:ストーカーってのがそうでしょ。