飲んだ翌朝の話
おはようございます、サトー@まくらことばです。
最近、「飲んで帰った日は眠れない」ということを繰り返し言っておりますが、その理屈は、「楽しくみんなと話をしたため脳が活性化して眠れない」のではないかと自分では思っており、まぁ眠れないのはしんどい部分もあるのですが、楽しく日々を生きていることの証かとも思う次第です。
昨日もいつものようにすずらん通りですっかり出来上がり、上機嫌で家路についたのですが……。
……駅に向かう道すがら、住宅を建てている現場がありました。
そこには道路から入ってすぐにコンクリートで囲われたスペースがあり、中は板が囲うように設置されています。
どうやらそこは浴室のようで、もうすぐすればここにバスタブが設置されるのでしょう。
そのスペースを眺めているうちに、妙に“囲われ感”“つつまれ感”を予感して上気した私は、囲いの中に入って腰を下ろしてみました、工事現場とはいえ夜で誰もいないことだし。
うん、やっぱり秘密基地のような密室感覚があって気持ちがいい。
私はそこで瞑想のようにしばらくじっとしていたのですが、やがてポケットになぜかカットフルーツが入っていたことに気づき、静かに食べ始めました。
するとそこに、先ほどまで一緒にいたADが、蛍光イエローのベストを着て通りかかりました。
なんでも青年会の仕事で夜警をやっているそうで、「そうか、ADも大変なんだな」と思い、ここで果汁をしたたらせながら気持ちよくぼーっとしている自分がなんだか急に恥ずかしく思えてきました。
私は多少の名残惜しさを感じながら帰ることにしたのですが、どうやらもう終電間近の様子。
ADは私に、「とにかく来た電車に乗るんだ!」と檄をとばします。
私は駅に猛ダッシュしましたが、やってきたのはこの駅に停まるはずのない快速急行。
私の最寄り駅は当然のこと、手前の駅にも停まらない電車です。
しかしADが遠くから「乗れ!」というジェスチャーを送ってよこしている手前、乗らないわけにはいけません。
まごついているうちに快速急行は出発してしまい、私はADに対してなんだか申し訳ない気分になりました。
向こうを見るとまだADがこちらを見張っていて、「とにかく来た電車に乗るんだ!」という念を私に送っています。
次に来た電車は逆方向の新宿行き各駅停車でしたが、四の五の言わずこれに乗らないと駄目だと思った私は、家に帰れないことを承知で上り電車に乗り込んだのでした……。
ここで目が覚めたのがたぶん4時くらい。
混乱状態の私は、数時間前の現実とさっきまで見ていた夢の境界線を、ぼーっとした頭で探りました。
そう、ついに現実と夢がシームレスに連続するようにまでなってきたのです。
うーん、ま、白昼夢のような人生も悪くないか……。
ごめんなさい、前置きが長くなりました。
今日はそんな話がしたいんじゃないんです、けっこう真面目な話。
あ、でも重い感じでは全然なくて。
昨日ね、いつものようにゆさくんと話してて、「僕たちは結局、自分が生きている限りは常に、死を見送る立場でしかない」という当たり前のことに気付いたんですよね。
だって自分が見送られる立場にいるときはすでに自分はこの世にいないわけで、どんなに人生が長かろうが短かろうが、生きているうちに自らの死を経験することはできない。
だから僕たちが直面するのはいつでも他者の死であって、残された者は絶対に自分ではできない経験を目の当たりにして、圧倒されるしかないんですよね。
そうやって「常に残された者」である僕らが、なくなっていく命に対して何ができるだろうって少し考えたんです。
ひとつはね、やっぱり忘れないこと。
ずっと考えていることは無理でも、何かの拍子に思い出して、思い出を共有する人たちと語り合う、そんな時間をもてればいいなぁと思います。
もうひとつはね、これ理屈から言ったら矛盾しているんだけど、生きているうちに精一杯愛すること。
先に旅立ってしまう命って、僕たちに愛することを教えてくれた存在だと思うんです。
もし人生に意味があるとすれば、誰かを・何かを愛することにしかないんじゃないかって。
今朝はゆさくんの書いた文章を読んで、そんなことを考えながら電車に揺られていました。
僕たちが見届けてきた命に教えてもらったことを歌にしていきたい、そう思います。