世紀末、少女だったあなたに
おはようございます、まくらことばのサトーです。
昨夜はバンド練習でしたが、さすがに3時間は長い、明らかに疲労を引きずった状態で今朝を迎えております。
そういえば昨夜のスタジオは初めて利用するところだったのですが、どうやらHR/HM系バンド御用達のスタジオのようで、壁に貼られたフライヤーなどもそんな感じの物件が圧倒的に多い。
BGMはもちろんメタルで、店員さんはメタルTシャツに長髪。*1
しかもドラムはデフォでツーバスでありまして、部屋に入った瞬間に吹雪様は歓喜、ドコドコと水を得た魚のごとく踏みまくっておりました。
さて、アルバム「枕じゃなくて招待状」、皆さんはもうお聴きになったでしょうか?*2
その中で8曲目「誰も彼女がわからない」(通称「ダレカノ」)という曲は、アルバムの中でもたぶん一番ポップでキャッチーな曲だと思います。
実際、「ダレカノ気に入った」という反応もいただいておりまして、われわれとしても「そうでしょう、そうでしょう」と納得の一曲。
まくらことばでは珍しく、パーティーチューンとでもいうべきアゲアゲの盛り上がりナンバーとなっております。
この曲はですね、「関東文化系少女」に続く“女形第二弾”の作品でありまして、この紀貫之ばりの作詞スタイル、結構自分的には見つけた感があるんですよね。
女形の作詞家といって私が真っ先に思い浮かべるのは松山千春ですが、ちーさまの女性一人称の曲って、やっぱり有無を言わさぬパワーがあるもんね。
そんで「ダレカノ」で私が憑依したのは、オリーブ少女とか宝島少女とかナゴムギャルとか、とにかく世紀末の空気を吸いながらサブカルに夢中だった女の子なんです。
なんていうのかなぁ、その頃の彼女たちが見ていた風景とか感じていたことって、後にも先にも彼女たちしか知らないことっていうか、誰にも触れられないものがあるような気がして。
たとえば「ハックルベリー・フィンの冒険」とか、リバー・フェニックスが出ていた映画「スタンド・バイ・ミー」とか、ああいうのって男の子にしか見えない風景を見事にとらえた作品だと思うんですね。
それの女の子バージョンが作りたかったっていうか、ワタシ男なんでわかりっこないんですが、だからこそ描きたい思いがあって。
あのー、80年代から90年代にかけてカルチャーに夢中だった少女って、文化史的に見ても前人未到というか、すごくとんがってたという気がするんですね。
なんか最近はその辺を引きずっている女性を「こじらせ」とか言って揶揄する風潮があって、それはそれで面白い物言いだと思うんだけど、私はもっと単純に、時代を切り拓いてきたことへの敬意と、今でも僕らをやさしく見守ってくれるやさしさへの感謝が表現したかった。
でもそれを一人称で語っても白々しいし寒いので、世紀末の少女になりきって、当事者の気持ちになって歌ってみたのが「ダレカノ」というわけ。
この試みがうまくいっているかどうかはわかりませんが、とにかくお気に入りの一曲であることは間違いありません。
世紀末に少女だったみなさん、今はそれぞれの場所でそれぞれの暮らしを送っていると思います。
大切なものはあの頃と変わった人もいればそのままの人もいるだろうし、特にいろんな生き方をしている人がいる世代ではないかと。
でもね、あの頃確かに見た光があるんじゃないか、それは月日が経っても色褪せないんじゃないか、そんな風に思ったんです。
いやまぁ、個人的にそういう女の人が好きってだけなんですけどね。
「誰も彼女がわからない」を聴いて、押し入れの奥にしまってある『オリーブ』を引っ張り出して読んでみようかしら……そんな気分になってくれたらうれしいなぁ。