布団あります まくらことば活動日記

歌ものロック/ポップスバンド、まくらことばのブログです。

初音ミクはなぜ世界を変えたのか? メッセージとしての初音ミク

こんばんは。ドラムを叩いている吹雪です。

記事のタイトルになっている、『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』という本を読みました。最近出版された本で、なかなか評判になっています。

初音ミクは、いくつもの偶然が重なってできた奇跡的な灯火で、それを大切に育てたから今の姿があるとわかる内容でした。たくさんのミクさんの姿が浮かび、クリエイターたちの魂が伝わり、感動しっぱなしでこっそり号泣しました。

プロジェクトエックスぽい本の作りをしているのが、読ませる力の一つかなと感じました。編集者の方針かと思うのですが、あざとくなくストーリーがはっきり際立ち、好感が持てました。こういうタイプの社会学の本ではなかなかみられない、立派な書きっぷりだと思います。

 

さて、感想を書きたいと思います。それと一緒に、ずっと初音ミクについて考えてきたことも。

 

 

初音ミクが変えた世界について、あるいは初音ミクのメッセージ

初音ミクをよく知っている人が本書を読むと、いいこと言っていると身を乗り出す気持ちになるとともに、読み終わってみるとなにか食い足りなさを感じると思います。

その理由は、正直に言わせてもらうと、本書を読んでも初音ミクが世界を変えたその達成点がよくわからないように感じるからではないでしょうか。(私も初音ミクが世界を変えたと思っているので、そのことについては後述します)

例えば、初音ミクがフランスの伝統的なオペラ座で講演したことや、横浜アリーナでライブを成功させたことは特筆すべきことかもしれませんが、これは初音ミクの到達点であって、世界が変わったことではありません。世界が変わって初音ミクを受け入れたという話かもしれませんが、そもそも人は様々なニーズを持ち、新しいものを体験したいという柔軟な欲求を持っているはずです。また、具体化には情熱が必要で、この情熱が世界を動かしたと言えるのでしょうが、このことはどの企画にも言えるのではないでしょうか。企画が具体化したことを世界がかわったというのは誇張表現な気がしますし、著者もそのようには考えていないでしょう。

ほかに、初音ミクと死についても書かれていましたが、どこか本質的な感じがしませんでした。ないものがあるように感じる。非存在が実在する。これは、初音ミクだけに限る話でしょうか。死んだ人がまだ身近にいるように感じるときもあるし、空想の人物が実在するかのように振る舞われるとき(空想の人物の葬式など)だって、これまでにありました。

 

著者も指摘していますが、クリエイターの環境を変えたことが非常に大きな世界の変革でした。とはいえ、著者はこのことについて確信を持てないからこそ、ムーブメントの終わりを盛んに意識し、初音ミクは消費され消えてしまう、とどこかで考えてしまうのではないでしょうか。

しかし、2013年のマジカルミライを見て、初音ミクに深く携わっている人たちがミクを硬直化させないようにどれほど努力しているか感じましたし、音楽を愛する人をいかにクリエイターとして引っ張り込むか考えているように感じました。ミクに携わる人たちは、消費数の増加や話題の継続性よりも、クリエイターを生み出す力こそが、初音ミクの生命線だと考えているのです。このことが初音ミクが変えた世界をのぞく鍵になると思います。

 

では、いったい初音ミクは世界の何を変えたのか。答えは、当たり前すぎて見落とされているところにあります。

それは、楽器がキャラクター性とメッセージを持ったこと、このことこそが最大の世界の変革だったのです。

極論すると、電子の世界が人類に語りかける強さを持ち得たこと、あるいはその可能性こそが、初音ミクが成し遂げ、切り開いたことなのです。

そして、初音ミクが持ったメッセージとは、次のことにほかなりません。

 

「きっと君の力になれる」

 

自己表現するための楽器や、イラストの対象、動画のキャラクターにすぎないのに、このメッセージを常にクリエイターに発信していることにこそ、初音ミクが変えたことの本質があるのです。こう考えると、私たちのものでない世界を私たちの初音ミクが変えたというよりも、初音ミクが誕生することで、私たちの世界が変わったという方が正確なのかもしれません。

 

なぜ、初音ミクが登場することで可能になったのでしょうか。

初音ミクニコニコ動画に投稿され始めた頃から、ミクを聖杯として、クリエイターはそこに様々なものを注ぎ込むという構造がありました。そこでは、やがて「一般意志」のようなものが形成されます。ルールや気遣いといってもいいし、キャラクターのストーリーを互いに作るうちに共有する物語といってもいいかもしれない。物語という言葉が大きすぎるのであれば、性格とも言えるかもしれない。ランキングやコメント、再生回数がこの意志の調整に一役かっているかもしれません。

やがてその物語は作り手の人生と深く関わり、作り手の人生を引き受け、新たな物語りとなって、繰り返し「聖杯=楽器=初音ミク」に託し続けられていきます。

 

醸成され完成に近づいた初音ミクがまとうメッセージは、クリエイターがまだ見ぬクリエイターに送るメッセージであり、音楽を愛する人が、音楽を愛する人へ送るメッセージとして、比類なき生命力を獲得するに至ります。

ここにこそ、初音ミクの生みの親である、伊藤社長が言う「情報革命」の本質があるのです。

 

世界を変えた初音ミクの独自性

メッセージを帯びた楽器としての初音ミクとの関係は、同人音楽の作成で切磋琢磨することとは違うことであり、また、ピアノがかけがえのない友人だ、ギターが自分の気持ちの代弁者だ、ということとも違います。

また、何かのスポーツに打ち込んで、大会で優勝すれば人生がかわるかもしれない、サッカーボールは友達だ、私の力になるものなんて、考え方次第でたくさんある、初音ミクもそのひとつだ、こういう考え方があるかもしれませんが、初音ミクの力はその手前の次元で作用します。結局、目標を達成する際に、自分の力になれるのは自分しかいません。しかし、「きっと君の力になれる」というメッセージは、私自信の価値の肯定と、努力を続ける意味の肯定のことなのです。努力は尊いことではないか、価値があるではないか、というようなこととも違う。何かするときに、こんなことしても意味がないかもしれない、自分は無価値だ、そのことに対して、ただひたすら未来の声で力になれると肯定するのが、初音ミクなのです。

とても印象深い対談が掲載されていました。初音ミクができたばかりの頃、ニコニコ動画に投稿して、その後の初音ミクの方向に大きく寄与したryoさんと、ブンブンサテライツの中野さんとの対談です。引用させていただきます。

 

中野 ryoくんが作る音楽はとても感情的で、琴線に触れるメロディーや畳み掛けるリズムがあるよね。それがryoくんのどこから出てくるんだろう? っていうのが、みんな気になっているんだよ。

ryo 答えになるかわからないですけど、周りの人からは「お前って影武者っぽいよね」と言われることが多々あって。存在感が薄いとか、あんまり個性がないとか、どこにでもいそうって。今までの人生経験の中で、特別に主役になった記憶もないし、今でも「自分の意見を聞いてもしょうがなくないですか?」って思うんです。自分に価値があると思えないというか、そういう感覚はずっと続いてますね。

中野 社会人を辞めて、プロのミュージシャンになったわけじゃない? その決断は何がきっかけだったの?

ryo 大学を出て、電気関係の営業の仕事を派遣で六年くらいやってたんです。それが本当にヘビーな職場だったんですよ。タチの悪いお客さんがすごく多くて。クレームがしょっちゅう入って、ときには土下座をすることもあって。それにうんざりしてたんです。そういう仕事が終わった後に、ブンブンサテライツを聴くと、染みるんですよ。キックがとにかく強靭で、低音がたくさん入っていて、ヌルい音楽は聴きたくなくて、日々の感覚を忘れさせてくれる音楽がないとやっていけなかった。横浜で働いていたんですけれど、娯楽といえば、カラオケと飲み屋とパチンコしかない環境で、そういう中で、初音ミクを手にして、ものが作れたというのがおおきなきっかけでした。

 その仕事を五、六年やって、さすがに転職しようと思ったんです。そうしたら効果音を作る会社がエンジニアを募集していて、自分で作った効果音10個とオリジナル三曲送ってくださいと書いてあった。それがちょうど初音ミクを買った後だったので、オリジナル二曲目で“メルト”を作ったんです。それがああいうふうに評判になったおかげで、転職先が効果音のエンジニアだったはずが、なぜかアーティストになったと思っているんです。

 

ryoが作った、ODDS&ENDSは、初音ミクとクリエイターの関係を歌ったアンセムだと言われています。


【HATSUNE MIKU】 ODDS&ENDS ryosupercell - YouTube

この曲の歌詞は、こんな歌詞です。

 

 

いつだって君は嗤われ者だ  
やることなすことツイてなくて 挙句に雨に降られ

お気に入りの傘は風で飛んでって 
そこのノラはご苦労様と 足を踏んづけてった

いつもどおり君は嫌われ者だ 
なんにもせずとも遠ざけられて 努力をしてみるけど

その理由なんて「なんとなく?」で 
君は途方に暮れて悲しんでた

ならあたしの声を使えばいいよ 人によっては理解不能で 
なんて耳障り ひどい声だって言われるけど

きっと君の力になれる だからあたしを歌わせてみて 
そう君の 君だけの言葉でさ

 

自分に価値がないと感じていたryoが、やりきれなくて手にしたのが初音ミクだったのは象徴的です。教室で、会社で、雑踏で居心地の悪さを感じているとき、音楽が救いだったという人はいると思います。

ryoが取り出した「きっと君の力になれる」という言葉は、音楽がないとやっていけないと感じている人すべてに送る、音楽からの返答なのです。

このメッセージが可能になったことこそ、初音ミクが出てきて世界が変わった証拠であり、これからの方向性を示しているのです。

次の機会に譲りますが、このメッセージがあるからこそ日本独自のネット文化が発達し、googleのCMの最後に、Everyone, creator.と表記されたのではないでしょうか。

 

たとえブームが過ぎ去り、初音ミクがこの世界から忘れ去られ、90歳の老人になったときに、ものの弾みでパソコンのすみから見つけ出して起動し、すべて変わってしまったなとノスタルジックな気持ちを持て余し、やるせない切なさに途方に暮れた、そのときにこそ、ミクはこういうのでしょう。

「きっと君の力になれる。だから私を歌わせてみて」と。

 

 メッセージとしての初音ミク

可能性の肯定であり、クリエイターを常に励ます優しい初音ミク

私は、声を大にして言いたい。

これこそが、音楽だ。

 

 

おやすみなさい。吹雪でした。

ああ、まだ書き足りない。

(4月15日少しだけ書き直しました)