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布団あります まくらことば活動日記

歌ものロック/ポップスバンド、まくらことばのブログです。

歌詞は重要か

おはようございます、サトー@まくらことばです。

昨日は春の嵐、ちょっとした台風並みの暴風雨でしたね。

私の家のすぐ脇にはクリーニング工場があるのですが、ここは風が強い日、やたらといろんな音を立てる環境になっておりまして。

昨夜も金属を叩くかん高い音やトタンがめくれて叩きつけられる音など、なかなかに盛り上がっておりました。

 

さて、みなさんは音楽を聴く際、どれくらい歌詞を意識していますでしょうか。

私はかなり歌詞を重視するというか、まずそこに耳がいくというか、とにかく歌詞が気になってしょうがない。

もちろん音楽はいろんな要素で成り立っているもので、よく言われる音楽の3大要素とはメロディ、リズム、ハーモニーなわけで「歌詞」という項目はないのですが、考えてみれば歌詞は3要素全てに関係しているものであって、楽曲の出来を大きく左右するものではある。

 

じゃあ「いい歌詞」ってどんなんだ? と議論は進むわけですが、これが本当に難しい。

例えばすごく文学性が感じられる歌詞であったとしても、それは歌に乗せるという歌詞の宿命を考慮する限り、意味はやっぱり二の次、メロディやリズムとの相性みたいな機能性が大事なんじゃないか。

ていうかまず“文学性”ってなんだよ、流行歌たるポップミュージックに文学性なんてもんは必要ないんじゃ? という問いも当然あるわけで、たとえば「メールが来ないよ」とか「ずっとお前のこと守る」とか、30代以上の人間が「中学生の作文かよ」と呆れるような歌詞でも、それが若い人の「わかるー」を誘ってヒットしているとすれば、ビジネスとして完璧なその構図にケチをつけるいわれはない。

まずもって“文学性”なんて非常にあやふやなわけで、まぁ角が立つので具体名は出さないけど、のちに作家になって、「やっと逢えたね」みたいなことをのたまっちゃう人の代表曲の歌詞が文学性という面で評価されているとしても、私は昨日たまたまラジオで改めて聴いてみて何も感じないどころかナルシスト全開の歌唱法含め「この歌ってzooっとこんな気持ち悪い感じだったけ?」と思ったりしたわけで、要するに人それぞれなわけですね受け取り方なんて。

 

だから結局のところ、「いい歌詞」「悪い歌詞」なんてものは存在しなくて、「好きな歌詞」と「そうじゃない歌詞」があるに過ぎない。

じゃあ自分が「好きな歌詞」に共通する法則性みたいなものって何なんだろう――それこそ私が長い間考え続けてきたことでありまして、未だ道半ばではありますが、その研究成果みたいなものを発表してみたいと思います。

 

まず私が思う「いい歌詞」は、①言葉が平易である

これはね、例のタモリオザケンを大絶賛している回の「いいとも!」がようつべにも(静止画で音だけですが)アップされているのでぜひご覧になってほしいんですが、深いことを簡単に表現しちゃうってのがすごいことなんですよやっぱり。

理想としては、日常会話+αくらいの語彙で構成されている歌詞がいい気がします。

そして次に②ある程度解釈の幅があることが大事なんじゃないかと。

これはね、すごく難しいさじ加減なんですが、まったく「どうにでも受け取ってくださーい」と放置状態でイメージとか雰囲気だけの言葉を連ねても駄目だし、あまりにピンポイントで受け取り方が限定されるものでもよろしくない。

特にシンガーソングライターの歌詞は個人的かつ具体的な出来事を出発に書かれたりするものですが、それとて、聴く人が入り込める場所をきちんと確保しておかないと、ただのナルな「俺の歌」にとどまってしまうわけで、個人的なんだけど普遍的、っていうのがやっぱり理想なんだろうなと。

そして何よりも大事なのが③自分の言葉で書かれていることではないかと。

これは特に①と相反する場合もあるわけで非常に悩ましいのですが、実は「ベタ」であることと「オリジナル」であることって共存可能なのではというのが最近気づいたことで、手垢のついた言葉をいかにリアルに響かせるかというところに音楽の面白さがあるのかな、なんて思う今日この頃です。

 

というわけで改めて3つのポイントを整理してみたわけですが、どれも「まぁそりゃそうだよね」的な、どうということのない内容となりました。

そう、これが歌詞の奥深さを担保している最大の要因なんですよ。

歌詞を書く上での注意点って、これくらいの極めて一般的な教訓しか存在しない。

例えば何かの競技で、①ボールを使う、②より多く得点したほうが勝ち、③ケガのないようにプレーすること――これくらいしかルールがないスポーツをやるような感じで、「どうせえっちゅうねん」という放置プレーに、歌詞を書く者はいつも直面しているのであります。

あとね、実は前出の3つに加え、音楽をやる側という立場で最も大事なポイントがあって、これは以前も記事に書いたんだけど④自分で歌うのにあとあと嫌にならないことが何よりも大事なのよ。

歌詞を書くときはまず耐久性というモノサシを用意してから、というのが私のいつも心がけていることで、このモノサシで測れば①~③を達成できているかどうかがチェックしやすいんですよね、大事なツールです。

 

それから洋楽を聴く場合はどうなんだって話なんですが、不思議なことに、すぐに意味がわからなくても、それがいい歌詞かそうでないかってのはわかるもんで、これは英語力の有無とはちょっと別次元の問題ではないかと。

あと歌詞って極論を言えば翻訳不可能なものだと思ってて、例えばディランの「ライクアローリングストーン」のサビの歌詞は、やっぱり「ハーウダザッフィー(How Does It Feel)」以外にありえないわけで、いい歌詞であればあるほどその傾向は強くなるような気がします。

 

今日の話をちゃぶ台返しするようなんですが、音楽においてそもそも歌詞は重要ではないという見方も存在して、ロック・ポップス以外の音楽に目を向ければ大半は歌詞のない音楽なわけで、「そもそも音だけで人を感動させられるのが音楽だろ?」と言われれば「左様でございます」と言うしかないんですね。

なんだけどまぁ、歌詞に何がしかの思い入れをもって音楽をやっている人間もいるわけですよ。

まくらことばも一応そのつもりでやっておりますので、ご鑑賞の折は、一度は歌詞カード片手にお楽しみいただければこれ幸いの次第。

 

だったらさっさとアルバム作れって?

 

……はい、頑張ります。