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布団あります まくらことば活動日記

歌ものロック/ポップスバンド、まくらことばのブログです。

“悲運のバンド”バッドフィンガーのこと

おはようございます、サトー@まくらことばです。
昨日の記事、冗談のつもりであんな書き出しにしてみたのですが、冗談とはわかっていても、なんか心がざわっとするというか、得体の知れないキノコかじっちゃったみたいな気分になる文章ですね。
会社には毎朝うんざりするくらいのスパムメールが来るのですが、信頼感ゼロの、読む人を禍禍しい気分にさせる文体ってのも、これはこれで一つの芸風なんだな、と思う次第です。

さて、最近iTunesを流していてすごくひっかかるバンドがありまして。
いや、最近って話じゃなくて高校生のころからずっとなんですが、バッドフィンガーってやっぱりいいなと改めて思うんですね。

バッドフィンガーは、60年代後半から70年代にかけて活躍したイギリスのバンドで、フロントマンでソングライターのピート・ハムが1975年に自殺することで、その活動に事実上の終止符が打たれました。
「No matter what(嵐の恋)」や、ニルソンやマライア・キャリーのカバーでおなじみの「Without you」などの世界的ヒットナンバーもありましたが、ロックファンには“悲運のバンド”として知られ、ピートだけでなく同じくソングライターであったトム・エヴァンズも後に自ら命を絶っています。
バッドフィンガーの“悲運”は、マネジメントサイドの悪徳や契約がうまくいかなかったことによる経済的困窮などが原因とされているのですが、音楽的に見ても、ロック史上屈指の過小評価されているバンドであると思われます。

バッドフィンガーは、ビートルズのレーベルであるアップル・レコードからデビューしました。
また、ファーストアルバムの「マジック・クリスチャン・ミュージック」にはポール・マッカートニー作の「Come and get it」が収められていたり、ビートルズ解散後のビートルメンバーのバックバンドを務めたりと、“ビートルズの弟分”として世に出たわけですが、これが当人たちにとって幸せなことだったのか、私には多少の疑問があります。
確かに音楽的傾向――メロディ重視のロック・ポップスはビートルズに近いものがありますが、ビートルズとバッドフィンガーともに大好きな私の意見としては、ともに才能あふれたソングライター集団であったことは共通していますが、両者はまったく別の個性をもったバンドであるような気がします。
より具体的に言えば、後期ビートルズが芸術至上主義的スタンスでポップソングの常識を次々と壊していったのに較べ、バッドフィンガーはあくまでポップソングの枠内での完成度とダイナミズムの追求を行っていたように思います。

音楽史に名前が刻まれるためには、何らかの「タグ」が必要となるわけですが、“ビートルズの弟分”以外に、バッドフィンガーには“パワーポップの始祖”というタグがつけられたりもします。
パワーポップは、ビートルズ(というかポール)直系のグッドメロディとハードロックサウンドを融合させたジャンルで、70年代前半から中盤にかけて流行しました。
確かにピートのギターは、一般的な「ソングライターのギター」をはるかに上回る、ハードロックバンドのギタリストとしても十分通用するレベルの腕前でしたし、そんな達者なピートのギターを前面に出した曲も多くあるのですが、当時の流行や主流であった機材を考えるととりわけハードではない標準的なサウンドといえ、パワーポップの代表格とされるラズベリーズやスリー・ドッグ・ナイト等と較べれば、バッドフィンガーはむしろアコースティックなサウンド傾向をもっていたと言えるでしょう。
つまり、パワーポップというタグで検索しても、バッドフィンガーよりも「らしい」バンドはいくらも出て来るわけで、歴史的評価も自ずと地味なものになってくると。

こうしたバッドフィンガーにまつわる記号の数々が、かえってバンドの評価を中途半端なものにとどめているように思えるのです。

またメンバーのパーソナリティも、バッドフィンガーの評価が定まらない理由の一つであるように思います。
ピート・ハムは、70年代前半において、ソングライターとしてもプレイヤーとしても明らかに傑出した才能でしたが、ロックスターのカリスマとはほど遠い実直で地味な人柄がそのままにじみ出たような佇まいの持ち主でした。
同じくトム・エヴァンズもスター然としたところは皆無で、ギタリストのジョーイだけがアイドル的な明るさを放っていたものの、メンバーの地味なパーソナリティはますますショービジネスとして巨大化するロック産業において、とてもプラスに作用したとは思えません。
ピートはジム・モリソンやジミヘン、ジャニスと同じく、あの「27歳」で絶命しているわけですが、ショットガンで頭をぶち抜くでもなく、ドラッグをやりすぎてバスタブで発見されるでもなく、ひっそりとガレージで首を吊っていたそうです。
最期まで、ロックスター伝説とは無縁だったわけです。

私が長い間このバンドを聴き続け、今も相変わらず立ち止まって探究してしまう理由は、バッドフィンガーの音楽があまりにも“普通”であるからです。
一度聴いただけで覚えることができるくらいキャッチーでありながら、何度繰り返し聴いても味が染みて来るようなメロディ、足し算よりは引き算で組み立てていったであろうコンパクトなアレンジ、素直でアコースティックな楽器の響き、そして静かに魂のこもったボーカルと歌詞。
「いい詞をつけたいい曲」が大好きな私にとって、バッドフィンガーはまさにそれを体現しているようなバンドであり、いつも「こんなふうに曲が作れたらなぁ」と思わせてくれる存在です。
ここにあるのは、「普遍」とか「エバーグリーン」を目指してそうなったあざとさや退屈さではなく、丁寧に音と言葉を織り上げ、一切の奇をてらうことなく、時代を超えて自らの魂を届けようとした音楽家の仕事の結晶であり、聴く者を熱狂はさせずとも傾聴させる力をもった、ポップソングの神髄ともいえる音楽のように思います。

自分たちのことを語る際に、この偉大なバンドを引き合いに出すのは本当におこがましいのですが、私はまくらことばのコンセプトも(もしそんなものがあるとすればですが)、「普通であること」ではないかと思っています。
最近、話の文脈で「バンドやってます」みたいな話題になることが多いのですが、必ず「どんなのやってるの?」と聞かれ、判で押したように言葉に詰まります。
少し悩んで、「うーん、フツーのポップスです」とか答えるわけですが、この一切のタグを欠いた回答に、「ふーん、そうですか」と会話が途切れてしまうことも少なくありません。
こんなとき私は、「もしかしてバッドフィンガーのメンバーも、『あなたたちはどんな音楽をやっているのですか』と聞かれて、答えに困ってたのかな」なんて思ったりします。

今現在、ロック史のなかに、いろんなタグを付けられて収蔵されているバッドフィンガーの音楽は、なんだかとても居心地が悪そうです。
このバンドの(比較的)熱心なリスナーとして、何の先入観もなく、虚心坦懐にバッドフィンガーのレコード――そうだな、手始めに2ndアルバム「No Dice」あたり――を、一人でも多くの人に聴いてもらいたいと思います。
そこには優れた音楽家のピュアな息づかいが、今も色あせることなく存在することでしょう。