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布団あります まくらことば活動日記

歌ものロック/ポップスバンド、まくらことばのブログです。

「ちいさなぬま」によせて

みなさんおはようございます、サトー@まくらことばの“中の人”、佐藤と申します。

今日は「自分らのことを好き勝手書く」といういつものスタンスでお送りする内容の記事でないため、中の人登場と相成りました。

われわれまくらことばの「株主」のお一人であり、バンド結成に際して架け橋となってくれた、まさしく「生みの親」、イラストレーター/絵本作家の井上コトリさんが、このたび新刊絵本「ちいさなぬま」を刊行されました。

ちいさなぬま (講談社の創作絵本)

ちいさなぬま (講談社の創作絵本)

「ちいさなぬま」は本当に素晴らしい作品で、作者が生みの親だからとか関係なく、あたらしい絵本のマスターピース誕生を感じさせるものです。

まくらことばとして刊行のお祝いを申し上げるとともに、感想文のようなものを書かせていただきましたので、以下、掲載させていただきます。

きっとみなさんも「ちいさなぬま」、読めば気に入るはずです!

 

* * * * *

 

井上コトリさんの絵本「ちいさなぬま」(講談社)は、沼にまつわる話というよりは沼そのものが主人公の寓話である。この奇想天外な設定だけでも作者の奔放な想像力がうかがえるが、物語の本質をここで見誤ってもらいたくはない。
「ちいさなぬま」は絵本というフォーマットで表現しうる可能性に対してあまりに真摯であるし、実際この作品の到達点は時代を問わず読む者の心を揺り動かすだけの力を感じさせる。新奇性だけで勝負する作品と決めつけるには、その器はあまりに大きい。

いささか卑近な話で恐縮だが、私の原風景にはいくつかの「ぬま」があった(私の育った地方では多くを「池」と称したが)。作者の原風景に沼が織り込まれているのかということも興味深いが、私にとって「ぬま」とは、彼岸と此岸の境界のような場所であった。少年時代より釣りに親しんできた自分にとって「ぬま」は最上の遊び場のひとつであり、愉悦と幸福をもたらしてくれる空間であったが、同時にそこはいともたやすく命を呑み込んでしまう無慈悲さも備えていた(実際、「ぬま」に落ちて帰らぬ人が出ることは毎年のようにあった)。
田園風景が一面の湖のように変わってしまう初夏の風景をもたらすように、「ぬま」は時に恵みを惜しみなく与えてくれたが、暗く冷たい底なしの感触でもって私たちを震撼させるのもやはり「ぬま」の表情だった。
もしもこの「ぬま」に感情が宿っていたら――彼岸と此岸に両足を掛けた存在が生きとし生けるものに対し何をはたらきかけるのか、そこに生まれる物語を、比類なき個性を放つ絵と選び抜かれた言葉で綴ったのが本作なのだと思う。

「ちいさなぬま」はいわゆる「大人も読める絵本」として受け入れられると思われるが、私は、この作品を真正面から子ども向けの物語として描いた作者の意志を感じずにはいられない。
ここでいう「子ども」とは、単に年端のいかない存在を指すのではなく、「社会には未だ含まれていないが、大人などよりも格段に世界と一体化している存在」のことではないかと思う。何より主人公の「ぬま」自身が、他者の生命を左右するほどの力を備えた「世界そのもの」でありながら、自らの深い孤独とほとばしる愛情をどうすることもできないでいる存在、つまり子どもそのものなのではないだろうか。

「ぬま」は「みずいろのめをしたおんなのこ」との出会いを通じて自らのあり方を変化させ、いきものたちを含めた森の一部としてあり続けることを選ぶわけだが、このプロセスを描く作者の筆には格段の力がこもっている。まさに本書の白眉といっていい。作者の鋭敏な感受性、豊かな想像力、確かな表現力すべてが投入された絵と言葉は、その人生経験の長短を問わず、読む者の心をじっくりと動かすだろう。
そして「ぬま」を決定的に変えた「おんなのこ」の何げない“ある一言”は、世界に対し未だイノセントである子どもにとっても、世界に対し時に信頼を失うほど辟易している大人にとっても、未来に賭けてみようという希望をもたらす力をもった言葉だと思う。そして未来を信じた「ぬま」を包み込む豊潤の森に吹く一陣の風は、物語の最後にさわやかな感動を運んでくる。

もし絵本というものに教育的効果があるとするならば、それは教化的に作用するものではなく、作品を通じて作者の感受性と想像力に一体化し追体験することで、この世界の成り立ちを知る手掛かりを得ることなのだと思う。
この作品で追体験できるいくつかの事柄――笑うことを覚えて初めて本当に泣くことができ、愛されることを知って初めて愛することができる――は、この世界を成り立たせている大切な順序であると思う。
そういう意味でも、私は「ちいさなぬま」を、きわめて正統的な絵本の王道として受け止めた。