読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

布団あります まくらことば活動日記

歌ものロック/ポップスバンド、まくらことばのブログです。

漫画の話

こんばんは、まくらことばのサットです。

連日ありえない暑さが続いておりますが、皆様、体調は大丈夫ですか?

私は無意味に元気で、今日も炎天下の真昼間にジョギングに出かけたりしました。

ま、昼食ったつけ麺の帳尻合わせなんですけどね。

 

さて、メンバーに名を連ねていながら今までこのブログにも登場がなく、「ホントに存在してるのか?」と訝しがるむきもあったベースのゆさくん、一昨日ですが私の目の前でベースを弾いている姿を目撃しました!(ああ、超レアキャラの写真撮っとけばよかった……)

実は一昨日、私の家でバンド合宿を行ったのですが(とはいえ吹雪様は帰省中で参加できず)、そこでちょっと2人で合わせてみたんですね。

とはいえ大半はリハビリで、「(ベースのパーツまわりを指して)このネジを回すとどうなるんだっけ?」とか「このポジションはどの音だったっけ?」(←おい)とか「開放弦ってそもそも何の音だったっけ?」(←おい!)といった感じで、ゆる~いセッションに終始。

いえいえいいんです、今のとこはこれで。

いつかは血反吐まみれの猛特訓しなきゃいけない時がくるんだから、ま、そん時は私、「フルメタル・ジャケット」のハートマン軍曹みたいになりますから。

 

でもこの合宿、楽器の練習よりも一緒にバンドをやっていく上ですんごい大切なことが共有できたんです。

というのは寝る前に本を読むというゆさくんに私が勧めた漫画「日々ロック」1巻~4巻を、彼が“巻を措く能わず”読み切ったわけです、翌日は遊びに行くから6時起きだというのに。

「日々ロック」はねぇ、現在も連載継続中の漫画なので内容については触れませんが、これを“巻を措く能わず”読んじゃうということは、楽器が巧いとか音楽の趣味が合うとか(まぁ彼と音楽の趣味はかなりかぶってるんですが)、そんなことよりよっぽど、一緒にバンドをやる上で重要なことなんです。

あの漫画を読んでぐっときて、「ああ、自分もバンドやりたい!」と思うような人と、私はバンドをやりたいんです。

ということで「日々ロック」、最高ですから興味のある方はぜひ。

 

さてせっかく漫画の話になりましたので、ちょっと続けさせてください。

私は小1で読み始めてから人生の重要なことの大半を「こち亀」で学んだ人間ですので、漫画の話となればまずこの怪物漫画を挙げざるを得ません。

ただ私が愛したのは20巻台~60巻くらいまでで、それ以降についてはほとんど読んだことがないです。

その頃の「こち亀」って100%男の世界って感じで、私は両津勘吉から男としての生き方――クソの役にも立たないことに情熱を捧げるという作法を学びました。

私が小学生のころはいわゆるジャンプ黄金時代で、「ドラゴンボール」をはじめ金字塔漫画が目白押し状態で、その中で「こち亀」はちょっと異質というか、不人気とまでは言わないけど「まずアニメ化はないだろう」という独特の位置づけにあって。

その後アニメ化もされてなんかキャラも増殖してわけわからん様相を呈して私も興味を失ったのですが、あの頃の居心地の悪そうな「こち亀」がたまらなく好きだったのは、ほかの人気漫画が提示する“男の子としての生き方”がなんだかマッチョな感じがしたのに対し、「こち亀」のそれは明らかに異質だったからです。

両さんの生き方って、女にもてたいとか出世したいとか強くなりたいといったものとは無縁、とにかく自分の好きなことをやりたいようにやるだけ。

そんでも両さんなりの(というか秋本治の)流儀みたいなものがきちんとあって、なんだかかっこよく思えたんです。

同じく私は子どもの頃から大橋巨泉が大好きなんですが、ああいう可愛らしいわがままさというか、権威を笠に着ないエラソーな感じにすごく憧れたりします。

ま、現実にはよっぽどの人間力がないと彼らのような生き方はできないのですが、「こち亀」が私に与えた決定的な影響は、今も折に触れて顔をのぞかせたりします。

 

とはいえ人は「こち亀」だけでは大人になれないわけで。

そういう意味で青年期に影響を受けた漫画を挙げると、やはり手塚治虫つげ義春の作品群になるでしょう。

 

手塚作品で私が好きなのは、「アドルフに告ぐ」と「陽だまりの樹」ですね。

「アドルフ」は、その後のホロコーストへの興味関心のきっかけになったということもあるのですが、私はあの漫画を読むたびに、集団心理とか同調圧力の魔力と恐怖みたいなことを考えてしまいます。

それはたとえば連合赤軍事件だとかオウム真理教事件を考える際のヒントになったりもするし、何より自分がそういったものに心を委ねてしまわないようにするためには、厳しい自己点検を絶えず行っていく必要があると身の引き締まる思いがします。

陽だまりの樹」はですね、主人公の万二郎はじめ登場人物がとにかく魅力的で。

幕末ものはこの作品に限らず、司馬遼太郎の小説なんかも人物が魅力的ですが、実在の歴史的人物よりも手塚治虫が創作した人物のほうに惹かれたりします。

この作品で学んだことは「無私の精神」、これにつきますね。

「無私の精神」って歴史的に見ると悪のパワーとして利用されるものでもあって、それこそ「アドルフ」で描かれたような全体主義の恐ろしさとか、彼の重要なテーマである民主主義と時として相反するものですが、そこはやはり手塚治虫、絶妙な筆致で取り扱いの難しいテーマを料理しているんです。

ちょっと余談を。

陽だまりの樹」に出てくる勝海舟ってすごく魅力的に描かれているんですが、これをきっかけに勝の「氷川清話」を読むことになったのも大きな収穫で。

世にあふれるビジネス書とか自己啓発書って、いわゆる“ライフハックもの”の領域を出ない、胡散臭いものばっかりじゃないですか。

「氷川清話」もいわゆる人生訓とか箴言の宝庫なんですが、この手の本では数少ない、胡散臭さとは無縁の腑に落ちる内容なんですよ。ぜひ。

 

つげ義春はですね、もうなんていうんだろう、絵、言葉、登場人物、ストーリー、全部好きというか、もうひたすらあの世界に浸っていたいという時期がありまして。

とにかくつげ義春の感じ方とか見る世界が、たまらなく好きなんです。

実はその昔多摩川の近くに引っ越してきたのも、つげ作品の影響だったりします。

好きな作品はいわゆる旅ものとか庶民もので、「庶民御宿」「退屈な部屋」とか、あのへんの作品がツボです。

ねじ式」とか「ゲンセンカン主人」みたいなシュールものはあんまり好みではないですね。

そんで別格なのはやはり傑作「紅い花」と「海辺の叙景」。

この2つはもう、すべての絵、セリフに一切の無駄がない、ちょっと神がかった作品じゃないかと。

何より好きなのは、「紅い花」のキクチサヨコと、「海辺の叙景」の「あなたすてきよ」「いい感じよ」と言うあの女性。

手塚治虫の描く女の人もたまらなく魅力的ですが、つげ義春の描いたこの2人ほど美しい女性は他にいない――私の理想の女性ってもう完璧にあの2人です(これって2次元愛になるのかしら)。

 

……っておれは何の話をしてるんだろう。

曲作りの続きやります、はい。