布団あります まくらことば活動日記

歌ものロック/ポップスバンド、まくらことばのブログです。

むむと「雨の喝采」の話

こんにちは、カープファンです。

今週は雨も降ってますが暑い日が続いていますね。
まさに夏本番ってところですが、この前始まったばかりのような気がしていた2013年も8月ということで、ホントに時間が経つのって速いなと。

そうか、あれからもう半年近く経つのか――

2002年10月、その年の夏に産まれた子うさぎが我が家にやってきました。
最初はクッキーと名付けましたが、クッキー→クーちゃん→むーちゃんといった感じでナチュラルに呼称が活用していき、最終的には「むむ」ということで落ち着きました。
うちにやってきたばかりのむむは灰色の毛に覆われていて、とにかく元気のいい子で。
ケージから放すと部屋中を駆け回ったりジャンプしたりと大騒ぎで、一気にうちの中が明るくなったのを思い出します。
その頃私は、今はなくなってしまった池袋の書店で裏方バイトをしていました。
それまで4年ほどバイトしていた書店を、「おれはやっぱり音楽やるんだ!」みたいな大義名分で辞めたにもかかわらず、とりあえず食いつながなきゃとまた同じようなバイトを始め、バンドをやるでもなく曲を作るでもなくただバイト先と家を往復するだけの日々が続いていました。
年齢も25くらいで、そろそろ貧乏生活が骨身にしみて来るころ。
同年代の人たちがだんだん社会で活躍し始めているのにおれは何やってるんだろうと腐ってた日々は、思えば私の今までの人生で一番キツい時代だった気がします。
そんなときにうちにやってきたむむはまさに救世主ともいうべき存在で、彼の仕草一つひとつを眺めているだけで、一時の平安が心に訪れました。

その後、広島の親父が倒れて1か月後に亡くなったこともあって、いよいよ無為の日々を過ごしている場合ではないという気分になり、初めて私は「就職」ということを意識し始めました。
いろいろ動き回った結果、小さな会社に拾ってもらうことができ、今からちょうど10年前の夏、26歳の遅い社会人デビューをしました。
何の経験もない自分を拾ってくれた会社に報いるためにも、社会人としての遅れを取り戻すためにも、私は必死で働きました。
幸い、その会社のやっている仕事の内容が自分に向いていたのか、私はそれまで自分を支配していたいろんな野心や思惑をとりあえず脇に置いて、ひたすら仕事に没頭しました。
終電帰宅は当たり前で会社に泊り込むこともしばしばの日々でしたが、今思えばそんなくだらないこともモラトリアムが長かった自分には新鮮で、ひょっとしたら地獄のミサワばりに徹夜自慢とかしていたかもしれません。
そのころむむは、すでに立派な大人のうさぎに成長していました。
灰色だった毛は黒くてつやつやの大人の毛に生えかわり、生命力あふれる青年といった感じになっていて、なんだかまぶしく感じられたものです。

その後私は、相変わらず無茶苦茶なスタイルで仕事に没頭していたのですが、次第に心がぎすぎすしてくるのを感じるようになり、自分の生活に疑問を感じるようになりました。
確かに無為の日々ではなく、やるべきことに忙しく追われる毎日ではあるが、果たしてこれでいいんだろうか。
今の自分は本当にやりたいことから目をそむけて、忙しさというお手盛りな充実感に浸っているだけではないのか。
自然のままにふるまうむむには威厳みたいなものが備わっているけど、それにひきかえおれはどうだろう、ただくたびれて年をとっていくだけなのか――
私はすでに30を過ぎていましたが、もう一度自分に正直にやってみようと思い直しました。

今の仕事に就いたのは、ちょうど6年前の夏になります。
転職したばかりのころは収入も派手に減ったし、大変なこともたくさんありましたが、何より自分が好きなことを仕事にして生活ができるという環境を初めて実現できた気がします。
うさぎは5歳くらいで寿命を迎える子もいるのですが、むむは5歳をすぎてもますます元気で、そのころにはなんだか風格さえ感じられるようになっていました。
次第に動きはおとなしくなり、昔みたいに部屋中を走り回ったりはしなくなりましたが、たまにケージの上によじ登ってそこから大ジャンプしてみたり、好物のにんじんや大好物のバナナをあげると感心するくらいのスピードでたいらげてみせたり。
そして何年も彼と一緒に暮らすことで、自然とむむに話しかけるような生活が当たり前になり、かみさんともども、いろんなことをむむに向かって話しました。
彼は当然何も言わないのですが、立派に会話が成立していたような気がしています。

去年の冬、私はずっとくすぶっていた音楽への思いをなんとかしたいと、十数年ぶりに曲を作り、このバンド=まくらことばを始めました。
私が積年の念願をかなえようと動き出したこのころ、むむは急に老けこんだ様子を見せるようになりました。
いままでぜったいに入ってこなかったこたつの中にもぐりこみ、一日中じっとしている日々。
毛並みは艶を失い、顔は止まらない涙で毛がぼそぼそになっていました。
噛む力もおとろえ、にんじんをあげると相変わらず飛びつくもののうまく噛みつくことができず、小さく切り分けてあげるようになりました。
今年2月のある朝、朝ごはんを食べたあと、いつものように窓際に移動してひなたぼっこをしようとしたむむの足取りが、床をとらえることができないほどに弱っていました。
フローリングの床に滑って歩けないむむを見かねて、ケージのなかに座布団を入れて彼が休めるようにしておきました。
その日帰ってくると、むむは朝敷いた座布団の上で動かなくなっていました。

振り返ってみるとこの10年間、本当にありきたりなことばかりだけれど、辛いことや悲しいこと、嬉しいことや楽しいことがたくさんありました。
無為の時間や不本意なことに身を投じる時間を経て、少しずつですが自分に正直にやっていくことができるようになった気がします。
そんな遅い足取りの私を横目に、むむはあっという間に一生を駆け抜けていきました。
むむといた10年間、私とかみさんは彼に自分を捧げていたつもりでしたが、むむに捧げたものとむむからもらったものを秤にかけたとき、こっちのほうが永遠に借りがあるということに、愚かにも彼がいなくなってから気付かされました。

むむから教えてもらった最大のこと――愛されることよりも愛することのほうがはるかに尊い――その思いを私は、「雨の喝采」という曲にこめたつもりです。
この曲を聴いてくれた方がどう思うかは私はわかりませんが、私にとってはこの先もずっと、大切な曲なんだろうと思います。