ゴスペルをめぐる2、3のこと
こんばんは、まくらことばの狂ってないけど狂です。
最近は梅雨に逆戻りしたんじゃないかみたいな日が続きますね、ムシムシ。
こんな時は洞窟探検に行くのがおすすめで、奥多摩の日原鍾乳洞とか埼玉の吉見百穴とか、信じられないくらい涼しいっすよ。
さて唐突ですが、私が邦楽で一番自分にとって決定的だと思うレコードは、小沢健二の「犬は吠えるがキャラバンは進む」です。
もちろんフリッパーズも「LIFE」以降も好きなのですが、「犬」だけは特別というか、もう自分にとっての金字塔で。
あそこで聴けるメロディー、言葉、演奏すべてが、神聖ニシテ侵スベカラズな領域にあります。
そんで今は「dogs」と改題されて廃盤となった「犬」には、小沢氏本人によるライナーノーツが入っていて、この文章がまた、オザケン的なるものをさらに濃縮したようなシロモノで。
ホント暗唱できるくらいに繰り返し読んだものです。
その文章の中にこういったくだりが出てきます。
ある友達の女の子が出来たばかりのこのアルバムのカセット・テープを聴いて、何かゴスペルみたいねと言った。その時僕は即座に言わなくてもいい軽口の2つ3つをたれ流してその場をごまかしたんだけど、本当はその子をぎゅーっと抱きしめてしまいたかった。どうかこのレコードが自由と希望のレコードでありますように。そしてこのCDを買った中で最も忙しい人でも、どうか13分半だけ時間をつくってくれて、歌詞カードを見ながら“天使たちのシーン”を聴いてくれますように。ついでに時代や芸術の種類を問わず、信頼をもって会いに来た人にいきなりビンタを食らわしたり皮肉を言って悦に入るような作品たちに、この世のありったけの不幸が降り注ぎますように。
女の子って誰だよ、マリナかよとか下衆な勘ぐりはさておき、これってものすごく文学的なフレーバーがまぶしてあって洒脱なんだけど、けっこうオザケンは「おれの魂見せてやる!」くらいの覚悟で書いた文章だと思うんです。
そんでここに出て来る「ゴスペル」という言葉に込められた意味。
ゴスペルは言うまでもなく教会音楽といういちジャンルですが、ここでは「祈りの歌」という意味で「ゴスペルみたい」と言われ、目指していたとおりの作品ができたと確信した、ということだと思うんです。
そうか、ゴスペルとは(それこそ「天使たちのシーン」みたいな)祈りの歌のことなのか……。
私はジャンルとしてのゴスペル音楽はほとんど聴いたことがありませんが、このオザケンの文章により、自分の中で「ゴスペル」という言葉が特別な意味のあるものとして登録されたように思います。
そんな風に思いながらいろいろ音楽を聴いてて、「あ、これはゴスペルだ」と思ったのがこの曲。
フェアグラウンド・アトラクションが唯一残したオリジナルアルバム、名盤「ファースト・キス」に収録されている「ハレルヤ」です。
これねぇ、アンサンブルもばっちりでエディ・リーダーの歌唱も名演といえる域に達しているんだけど、歌詞をよく読むと確かにロマンチックなんですが、現実的な果実を何一つ手に入れていないんですよね。
成功とか幸せをモノにしてる人の歌じゃなくて、これから何かを掴もうとしている人の歌なんです。
エディ・リーダーの歌がクライマックスに達するのは「Allelujah,here I am」つまり「ハレルヤ、私はここにいるよ」と、祝福と祝福する自分の存在を力強く叫ぶフレーズ。
こんなに肯定的な言葉と響きって、なかなかお目にかかれない。
何かを手に入れている人が強いんじゃなくて、何かを祈っている人こそが強いんだなぁ――この“ゴスペル”を聴くたびに、そんなことを感じます。
ちなみにオザケンは、フェアグラウンド・アトラクションを聴いたとき、「こんなの憂歌団がとっくにやってんじゃん!」と憂歌団ファンの彼は思わずガッツポーズしたそうですよ。