パンツが毛玉っぽくなっているときに長時間坐り続ける不快感と布団に入り続けている嫌悪感はよく似ている
おはようございますこんにちわこんばんわ。初めましての方は初めまして。
ドラムの吹雪です。V系担当だぉ。
唐突ですが、布団って、江戸時代ぐらいから一般的になったんですね。
それなりに社会が豊かにならないとみんな持てなかったものなんでしょう。
フランス語でも、Coucher sur le duvet.っていうイディオムというかことわざがあって、
贅沢するという感じの意味なのですが、これは直訳すると羽毛布団で寝るということで、貴族が寝るようなものだったんですね。
だから、次のような意見も至極最もなわけですよ。
とはいえわらの布団でいちど寝てみたいなあ。
お日様のにおいがして、虫になったつもりで潜り込んで
昼寝に飽きた猫のように這い出てみたいものだよ。
話が少し変わりますけど、寝床って、不思議ですよね。
あらゆる生命体に共通している構造が、
卵とか胎内から外に出るということなんですけど、
卵から出てくる生物と違って、哺乳類は寝床をほしがりますよね。
すみかと言ってもいいと思う。
すみかって、すみわたるありかのことなわけで、
濁った水が落ち着いて透明になるように、雑音が静寂にかわるところだと思うんです。
町中を歩いていて、つかれてもここで寝ようって、なかなか思えないでしょ。
野宿したことあるけど、落ち着かなくって、結構怖いよね。
だから落ち着ける布団って、なにかすごいことなんじゃないかって、思うんです。
ぶっちゃけ布団って、気持ちいいじゃないですか。
さあ、横になりなさいという感じで、緊張を解いてもいいって感じで。
これはなんでなんだろうって、思うんですよ。
はだの感覚って、不思議じゃないですか。
一番ひりひりしてるけど、一番ぼんやりしているわけだし、
一番町の空気を感じているようだけど、その感覚を取り出そうとすると、
よそ事のようになってしまうわけで。
寝床ってなにって思う以上に、そもそもこのはだって、なんなんだろうって思うんですよ。
はだって、はた(端、果)ということばからきているって調べたことがあるんです。
肌の感覚って、からだの一番果てにある感じだと説明されると、なるほどなって、思うんですよ。
そうすると果てにあるってことは、果てに向かうこともこの「はだ」に含まれているはずじゃないですか。
だとすると、はだの「は」って、生えるとか、派生とか、主語の「は」とか、息の「は」とか、気合いの「は」とか、なにかこう、生成の感覚のことだと思うんですよ。
その果てに向かうエネルギーが遮断されるから、緊張から解放されるんじゃないかと思うんです。
そしてこのエネルギーの遮断ができるのは、布団のような柔らかい存在だけなのかもしれない。これは胎内の柔らかさの記憶がそうさせるのかもしれない。
起きてる間はずっと世界に向かい続けているわけだけど、皮膚感覚でシャットアウトされると、目隠しされた鳥みたいになるんじゃないかと。
それで、エネルギーが世界へ向かうことがなくなって、自分の再生に向けられると思うんです。
だとすると、存在の回復には、人間の肌のような布団が必要だといえそうですよね。軽くて暖かい善なる毛布が。
そう考えると、皮膚の弾力それ自体が、他人にとって倫理的な善だと言えるのではないかとさえ思うんですよ。それって結構すごいことだなって思うんです。
初めて東京に来た時に、新宿でホームレスのひとが毛布を引きずって歩いてるのを見て心打たれたんですよ。ホームレスのひとでも握りしめてはなさないものなんだと思って。
ところでそう考えると、布団にずっといるとイライラしてくるのは、やっぱり僕たちが志向性として持っているのが、世界に出ようとするエネルギーだからなんだなと思うわけ。
そんな感じの布団の話を考えていたら、こんなブログのタイトルになりましたとさ。
まくらことばというバンドの名前も、今回の話に多少関係しています。
下の動画は日本に電波系の曲を一気に広めた2003年頃の曲で、『カラフルキッス 〜12コの胸キュン!〜』より、『さくらんぼキッス 〜爆発だもーん〜』。日本の音楽シーンを語る上で欠かせることはできません。
※アイマスは僕の趣味ではありません。
中学生のとき、お昼の放送にリクエストしてかけてもらったんですが、
一年生の女の子が感激して放送部に問い合わせてきてたらいいなと思うんです。
もしそんな子がいたら、いまごろどうしてるんだろう。。。
アイドルマスター MAD さくらんぼキッス ver 2 - YouTube
キュンキュン!!